途切れた線路の先に、トンネル状のオブジェが大きく口を開ける。本作は、昨秋開催された「奥能登国際芸術祭」でドイツ人作家が制作した。71本の角パイプは寒色から暖色へ虹色のグラデーションを描き、過去・現在・未来を表現。渦を巻く内部には双眼鏡が置かれ、のぞいてみると、約200メートル離れた旧蛸島(たこじま)駅の終着点に立つ、「something ELSE is POSSIBLE」と書かれた看板が浮かび上がった。
能登半島の先端に位置し、かつては港町として栄えた石川県珠洲(すず)市。だが過疎化が進み、1954年の市制施行時は約3万8千人だった人口が、現在は約1万4千人に。この現状を打開しようと市を挙げて計画したのが同芸術祭だった。国内外作家39組が、のと鉄道能登線の廃線跡などを利用し、作品を設置。50日間で7万1千人の鑑賞者が押し寄せた。
芸術祭で市内バスツアーのガイドを務めた池谷内(いけやち)吉光さん(67)は、その時出会ったイギリス人観光客の言葉が忘れられない。「彼は看板の英語を、『線路はここで終わりだが、珠洲市はまだまだ素晴らしい発展を遂げることができる、という意味だ』と言ってくれたんです」
今月、2020年の芸術祭開催が正式に決まった。廃線跡に開通した虹色のトンネル。その先の未来は、もう始まっている。
(渡辺香)
旧蛸島駅 2005年3月で廃線となった、のと鉄道能登線の終着駅。廃線後、撤去を惜しむ声が上がり、駅舎、車両、線路約1キロを地元NPOが管理している。能登線は1964年に全線開通し、海岸沿い約61キロを運行した。一時は大阪や金沢へ通う労働者や学生で満員だったが、80年代以降は過疎化と自動車の普及で、利用者は徐々に減少した。 《アクセス》道の駅「すずなり館前」から北鉄奥能登バスで「弁天公園前」下車すぐ。 |
作品から内浦沿いを南へ約10キロ、名所見附(みつけ)島が姿を現す。その昔、弘法大師が佐渡から来て最初に見つけた島であることから、命名されたという言い伝えも。8月7日(火)、見付海岸で開催する「宝立(ほうりゅう)七夕キリコまつり」(市観光交流課TEL0768・82・7776)は巨大なキリコ(灯籠〈とうろう〉)が迫力満点。
道の駅「すずなり」(TEL82・4688)では、「揚げ浜式製塩法」で作られた塩関連商品がずらり。中でもソフトクリーム「塩キャラメルバニラ」(写真、350円)は、塩で際立つ甘さが絶妙だ。