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右は表、左は裏。1852~59年ごろ、新宿区教育委員会蔵 |
招福のシンボルとしておなじみの招き猫。だがその起源はよくわかっていない。
この猫の人形は、現在の東京・新宿にあった尾張藩の川田久保屋敷付近から出土した。焼け焦げた跡があり、1859(安政6)年に起きた屋敷の火災で捨てられたようだ。粘土を型に入れて作られた土人形で、元は彩色が施されていた。
52(嘉永5)年ごろの浮世絵や文献に、浅草で「丸〆猫」「招き猫」と呼ばれる今戸焼きの土人形が売られ、縁起物として大流行した様子が描かれている。これが現在、「招き猫」の語が現れる最初の記録とされる。「丸〆」は「丸々福を手に入れる」などを意味する。これは流行当時のものと特定できる貴重な資料だ。