日本の茶文化が花開くのは室町時代後期。桃山時代、美濃地方では、長石釉(ちょうせきゆう)をかけた白い陶器「志野」が誕生した。鉄の顔料で文様を描いたり、灰釉をかけてかき落としたり、様々な技術を用いて意匠を凝らした茶道具が作られた。
しかし、江戸時代になると生産が減少。以降、海外への輸出用の磁器などが多く作られるようになった。人間国宝の陶芸家、故荒川豊蔵によって志野が再発見されたのは、昭和初期になってから。
今作は、その荒川にも学んだ人間国宝の鈴木藏(おさむ)(83)による「志野茶碗(ちゃわん)」。表面には、厚くかけた長石釉の白と鉄釉の深い緋(ひ)色が浮かび、力強い印象だ。伝統の薪窯ではなく、ガス窯を使うことで、新しい志野焼を追究している。