朱明徳が韓国のドキュメンタリー写真家といわれるきっかけとなったのが、1966年の「ホルト孤児院写真展」。米軍兵士と韓国人女性との間に生まれた孤児を撮影し、背景にある社会問題を提示した。しかし、軍事政権下の70年代以降、写真や映像が検閲の対象になると、朱の写真も社会批判と見なされるように。人物を撮影するのが難しくなり、朱の目線は風景に向かうようになった。
本作は、韓国郊外の風景シリーズの中の一作。鳥嶺山の集落の写真だ。遠い目で見ているようなまなざしが表れている。「地方から人々が出て行く動きの中で、忘れ去られていくもの悲しさのようなものを表現しています」と学芸員の今泉岳大さんは話す。人物から風景に被写体が変わっても、ありのままの姿を写す朱の視点は変わらない。