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「開放点滴用麻酔器」

麻酔薬のあゆみと華岡青洲(内藤記念くすり博物館)

「開放点滴用麻酔器」縦17・4×横9×高さ5・5センチ
「開放点滴用麻酔器」縦17・4×横9×高さ5・5センチ

 華岡青洲が全身麻酔手術を行った後、西洋では、亜酸化窒素(笑気ガス)、エーテル、クロロホルムを使った麻酔が模索された。

 1772年発見の亜酸化窒素、16世紀に製造法が知られたエーテルは1840年代の米国で相次いで腫瘍(しゅよう)切除や歯科手術に初めて用いられた。公開手術が実施され技術改良が進んだが、「最初の開発者」をめぐる先陣争いも激しかった。クロロホルムは英国で産科手術に用いられ、ビクトリア女王も1853、57年の2度、クロロホルムを使った無痛分娩(ぶんべん)で出産した。

 青洲の「麻沸散(まふつさん)」が煎じ薬だったのに対し、これらは気化した成分を吸入して用いた。金属製の麻酔用マスクで患者の顔を覆い、ガーゼ数枚を重ねた上から麻酔薬を垂らす開放点滴は、日本では1950年代まで行われていた。

 19世紀後半以降、外科医療は急激な発展を遂げた。世界各地で起きた戦争により必要とされた皮肉な面もあるが、麻酔法の貢献も大きい。内藤記念くすり博物館学芸員の稲垣裕美さんは「麻酔は陰の立役者です」と話した。

(2020年9月15日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)