熊谷守一の東京の自宅の庭には池があった。近くの石神井川で捕ったタナゴやフナを放し、もらいうけたコイがそれを食べてしまうと、さみしがったという。水深は20センチほどだが、地表から水面までの深さが約2・5メートルあった。都市化でわき水が枯れると掘り、枯れると掘りを繰り返したためだ。水面へ下りていくれんがの階段もあった。
記念館の敷地には庭と池が忠実に再現されている。池の水面まで下りると隠れ家にいるようで、見上げる景色は地上と違う。「池は守一にとって思考のためのアトリエだった」と小南桃生学芸員。だからこそ、みずから土を掘り出して池を守ったのだろう。
赤鉛筆で描いた輪郭線を、色を重ねる際に残す「守一様式」。横長の絵は横に、縦長の絵は縦に筆を動かした。80歳ごろ庭の池を描いた本作は水面との距離感から、当時約10段あった階段の中ほどから描いたと推定される。乾湿の度合いで色みが異なる土や、藻で緑色になった水を、抽象的に描き分けている。