「泉って形があるんだよ」。熊谷守一89歳での抽象的な本作。学芸員の小南桃生さんは「(地の色は)東京の庭の土に近い」と話すが、守一がこれを描いた折に語ったのは、故郷・付知(岐阜県中津川市)で山仕事をして過ごしたころの思い出だった。
母を亡くした30歳から5年間、付知で暮らした守一は、山奥の小屋に寝泊まりしながら木を切り出す仕事にも就いた。食事は自炊。小屋を建てるときは、岩に耳をあて水の気配を探したという。そんな水場を泉と言った。
同じ付知時代の日記にも、付知川岸の伏流水がわく場所を「泉」と記した箇所がある。温かい水に集まるアジメドジョウがとれ、地元では清水、湧水と呼んだが、守一は詩的に表現した。
付知川は別名を青川という清流だが、地形から水を農耕に利用できなかった。日照りの苦労や、何度かの試掘の末に用水が完成した喜びを守一は聞かされて育った。
守一には水の形が見えたのだろうか。