左手にこんもり丸い高麗(こま)山、右には信仰の山としても人気のあった大山(おおやま)がそびえる。間にのぞくのは白い富士山。場所は現在の神奈川県平塚市。田畑を抜ける細道だが、宿場の端に立てられる「榜示杭(ぼうじくい)」と呼ばれる標柱が、街道であることを示している。
歌川広重は、風景画の中にしばしば人の「すれ違い」を描いた。ここですれ違うのは飛脚とかごかき。街道を行き来して働くおじさんたちだ。
手紙や荷物を運ぶ飛脚は、江戸時代に発展した。幕府の公用や諸藩の仕事を専門にする飛脚、民間の飛脚など次第に多様化したという。平塚の街道を急ぐこの飛脚は、荷物につけた木札から公用の仕事を受けた飛脚ではないかと学芸員の中村香織さんはみる。
一方かごかきの2人は、空のかごを背負い反対方向へ。「客を目的地に降ろし、営業が認められている担当エリアへ『回送中』のようです」。当時の職業事情などもふまえて作品を見ると、人物の姿がより生き生きと感じられる。
中山道広重美術館