上部の色合いが漆工芸を思わせる本作は、米ルックウッド社の日本人絵付け師・白山谷喜太郎が手がけた。白山谷は金沢の出身と思われ、作風から日本画の狩野派を基本としていると考えられるという。
1885年から翌年にかけて陶芸職人らが全米の都市をめぐり制作実演する「日本人村」の一員として米中東部のシンシナティを訪れた白山谷は、同社を創立したニコルズ夫人の目にとまった。夫人は76年のフィラデルフィア万博で日本の精緻なやきものを見たことがきっかけで同社を設立したという。
白山谷は技術者として雇われ、生涯同社の絵付け師として活躍。夫人は「日本的な筆遣いの繊細さには誰もかなわない」と絶賛した。学芸員の水野貴子さんは「陶器でありながら漆工芸を想起させ、細かな絵付けは日本画を写し取ったかのよう」と話す。