体の前に大きな盾を構えた赤褐色の埴輪の兵士。背後には太陽と月が輝き、兵士の盾に施された模様も太陽の炎のようだ。色を重ねひっかいて描く技法は、画家として尊敬していた夫・三岸好太郎の作品にも多用されている。
節子は29歳の時、2歳上の夫を亡くした。絵筆で養った3人の子どもが独立後、49歳で初渡欧。念願の欧州の風土に魅了されながらも、当時のパリの画壇には興味をひかれなかった。ルーブル美術館でも感銘を受けたのは、古代エジプトや中国の力強い原始美術。日本美術にも「大変な自信を持って」帰国した。
西洋の技法で自分が何を描くべきか問う中、東京国立博物館で出会ったのが埴輪。「日本そのもの」と話した埴輪や土器を骨董商から買い集め、たくましく素朴な美しさを作品に取り入れようと次々と描いた。館には、ひと目で本作に描かれたとわかるモチーフの埴輪も展示されている。