馬車が走り、洋装の人も見える明治維新後。日本家屋にまじってレンガ造りやバルコニーの広い洋館も立つ。
洋館の屋根には、和瓦の他に、西洋式粘土瓦が用いられた。西洋瓦は当初はもっぱら輸入されたが、フランス人実業家が横浜で生産を始め「ジェラール瓦」と呼ばれた。
日本人が手がけるフランス式瓦として初めて量産されたのが三河だ。常滑で行われていた土管製造の技術を応用し、焼成中に窯に塩を投入する「塩焼瓦」が開発された。
この製法では表面に水をはじくガラス状の被膜ができ、つやが出て強度が増す。三河の土との化学反応による赤褐色が、れんが造りの洋館の景観を引き立てることもあり、重宝された。
昭和初期に商品化された塩焼瓦は戦後、釉薬を使う陶器瓦にとって代わられた。それでも「三州瓦の生産量が全国一になった、立役者といえます」と主任学芸員の井上あゆこさんは話す。