90センチ幅の紙に大きく描かれた姿には迫力があるが、前脚などはトラより猫に近いかも。「江戸時代の人は本物のトラを見たことがなかったため、身近な猫に似てしまったのでは」と学芸員の桐田貴史さんは話す。
作者の木村探元(1679~1767)は現在の鹿児島市に生まれ、江戸で狩野派に入門。帰郷後は鹿児島城本丸の襖絵を描くなど、薩摩藩の御用絵師として活躍した。
本作は中国南宋の画僧・牧谿の虎図に学んだようだ。といっても古くから人気を呼び、贋作が多く作られた牧谿。「伝・牧谿筆」の虎図は何点かあるが、真作と明確に確認されたものはない。
真作ではない「伝・牧谿筆」にも名画はあり、足利将軍家のコレクション東山御物に収められたり、大名家や京都の寺院が所蔵したりした。京都を訪れ中国絵画にふれる機会のあった探元は、「偽物でも力の入った良作に倣ったのでしょう」。