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正清公虎狩之図

石水博物館「五黄の寅 虎の美術とエトセトラ(干支,c'est 寅)」

歌川芳員(よしかず) 1861年 三枚続の1枚目、多色摺(ずり) 35.5×23.5センチ
歌川芳員(よしかず) 1861年 三枚続の1枚目、多色摺(ずり) 35.5×23.5センチ

 長いヤリでトラを押さえつける武士。横に「佐藤正清」と書かれているが、これは取りつぶされた家名を出すのをはばかった約束ごと。えぼし形のかぶとや、旗指し物のキキョウの紋からも加藤清正のトラ狩りの絵だ。

 朝鮮出兵した豊臣秀吉はトラの肉や内臓を養生の薬として珍重したとされる。配下の武将らがトラ狩りをしたのは史実のようだ。中でも勇猛な人物像と結びついた清正のトラ狩りは、古くから文学作品などでもよく知られた。

 しかし本作が描かれたのは、そうした清正人気のためだけではなさそうだ。

 日本では野生に生息せず、近代までほぼ想像上の存在だったトラは、人を襲う恐ろしいものの象徴ともされた。江戸後期から繰り返し流行したコレラも「虎烈刺」「虎列拉」などの字があてられたりした。幕末、コレラ大流行から数年後に描かれた本作はコレラなどの「病よけ」を意識しているとも考えられる。

(2022年1月18日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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