蛍光色のポップアートのような花を描いたのは「日本画壇の風雲児」。愛知県豊橋市生まれの中村正義(1924~77)だ。
日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門、22歳で日展初入選。30代で日展審査員となるが、まもなく脱退した。
その翌年に描かれた本作は「反骨精神や新たな挑戦への気概が満ちあふれている」と学芸員の古池幸代さんは話す。アクリル絵の具や接着剤を用いたり、原色を試してみたり、試行を重ねながら新しい日本画を模索した。
幼い頃から病弱で、結核やがんを患った中村は、療養や闘病で思うように制作できない時期もあった。
いつ死ぬかわからないから自分に対して純粋でありたい。52歳で人生を終えた画家の作品にはそんな焦燥感が反映されている、と古池さんは見る。「おまえはどうなんだ? と問われているような、そんなザワザワとした気持ちにさせられます」