「里見八犬伝」の一場面を描いた役者絵。女性がまとう着物に、雪の結晶を表した雪華文様が舞う。
雪華文様が衣装や小物などに用いられて流行したのは江戸後期。古河藩主の土井利位(1789~1848)が「雪華図説」に記した雪の結晶図を意匠化したとされる。
ただ、「雪華図説」は限られた人のみに配られた私家版。利位は当時、大坂城代として大塩平八郎の乱を鎮圧し、幕府の老中へと出世コースを歩んでいた。その立場上、一般に流通することはなかったという。
文様が広がった理由は、越後の文人・鈴木牧之が北国の風俗を記したベストセラー「北越雪譜」。その中で「雪華図説」が引用され、雪の結晶図が多くの庶民の目に触れた。
「利位自身も、雪の結晶のデザインを好んだようだ」と、刈谷市歴史博物館学芸員の長沢慎二さん。書状や贈答品にも雪華文様をあしらったという。