日本画家、守屋多々志の生家は、大垣市のみそたまり製造元。本作は、生家の暮らしを四つの場面で描いている。家族が囲む朝食、仕事の合間の休息、西日を背にたるを片付ける使用人たち、華やかな夏祭りの夜――。描いたのは、終戦の4年後だ。
太平洋戦争中、守屋は中国で従軍。終戦の翌年の1946年に復員し、故郷の大垣を訪ねた。焦土と化した街並みを見てぼうぜんとしたが、それでも故郷に励まされた、と後に語ったという。
「幼い頃の穏やかな日々を思い起こしていたのだろう。優しい筆致で表している」と、学芸員の上田朋子さん。生家をモチーフにした作品は、戦地に赴く前年の36年、東京美術学校の卒業制作でも描いていた。「復員した後にも、生家を描いているのが印象的。戦後は再び絵を描くことができるという喜びと故郷への思いから、生家に画題を求めたのだろう」