デザインに加え、陶芸でも才能を発揮した鈴木繁男の真骨頂と言える作品。陶芸家、濱田庄司の紹介で愛媛県砥部町に滞在し、砥部焼の絵付け指導にあたっていた頃に作られた。
民藝(みんげい)運動を始めた柳宗悦の、唯一の内弟子だった鈴木。柳のもとで雑誌の装丁や日本民藝館の展示を担い、美しさを見いだす「直観力」を磨いた。濱田やバーナード・リーチら陶芸家と交流する中で、憧れていた陶芸も体得。各地の窯で絵付けをしたり、静岡県磐田市の自宅に窯を作ったりするなど、作陶にもいそしんだ。
和紙に漆で描いた作品が柳の目に留まり、住み込みの弟子になった鈴木は、ゴッホなどの絵画にも親しんでいた。本作が作られた頃、欧米で流行していた抽象表現の潮流も知っていただろう、と学芸員の北谷正雄さん。「ほとばしるような自由な筆づかいの絵付けは、抽象表現主義の画家、ジャクソン・ポロックをほうふつとさせます」