ゴッホが本作を描いたのは、療養のため南仏からパリ近郊の農村に移った翌月。麦畑が青々と広がる季節だった。死の約2カ月前のことだ。
ゴッホは繰り返し麦畑を描いた。学芸員の石崎尚(たかし)さんは、「ミレーやブルトンの描く農村や農民の姿を敬愛し、『麦の声がする』と表現しています。また、西洋文化における麦は、生命の繁栄や循環の象徴でもあります」と話す。ただ、構図がない作品は珍しく、画面いっぱいに麦畑を描いた本作は意味深だとも言う。
仕送りをしてくれていた弟テオが画商の仕事で悩むのを知り、おいが生まれたばかりの弟家族の重荷になっていると思い詰めたゴッホ。麦畑の中で、自身に銃口を向けたとされている。
ゴッホが名をはせたのは、死後のこと。兄の死の翌年に亡くなったテオの遺志を継いだ妻ヨーと、ゴッホと同じ名を持つおいが、広め、守った名作が並ぶ本展だ。