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吉田篤弘さん(作家)
「非常線の女」(1933年)

サイレント映画の見開かれた瞳

吉田篤弘さん(作家)「非常線の女」(1933年)

 小津監督のサイレント映画の中でも異色の作品です。

 主人公は、元ボクサーで与太者の襄二と恋人の時子。襄二は、自分に憧れて子分となった宏の姉、和子にひかれます。それに気づいた時子は、和子を脅そうとしますが逆に彼女を気に入り、自分たちもまともになろうと決心。襄二を説得します。しかし、窃盗を働いた宏をかばうため2人は最後の一仕事を企てます。

 ボクシングクラブやダンスホール、ビリヤード場など舞台がバタ臭く、どこを切り取っても洋画のようです。役者の面構えやしぐさもいい。特に男たちの帽子姿は印象的。帽子は国籍とか属性を消す装置のようなものなのかもしれません。

 サイレント映画は、考える時間をくれます。「行間を読ませる」と言うことでしょうか。今の映画にはない時間間隔や表現方法に、創作意欲も刺激されます。

 20年ぶりにこの映画を見たのは、和子を演じた女優、水久保澄子について知るため。今、彼女の主演映画「チョコレートガール」(1932年)を題材にした連載を執筆中なんです。戦前の映画フィルムのほとんどが失われてしまっているなか、「非常線の女」は、映像で彼女が見られる貴重な映画。どんなふうに髪をかき上げたり、まばたきをしたりするんだろう、と注目したのですが、彼女は一切まばたきをしない。その見開かれた瞳がとても魅力的でした。日々、謎の多い彼女を追いかけてわくわくしています。

聞き手・秦れんな

 

  監督=小津安二郎
  原作=ゼームス槇
  出演=田中絹代、岡譲二、水久保澄子ほか
よしだ・あつひろ 
 1962年生まれ。近著に「あること、ないこと」(平凡社)など。雑誌「こころ」で連載中。「クラフト・エヴィング商會(しょうかい)」名義の活動も。
(2018年6月22日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)