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【SPECIAL】漫画家・魚豊さんが語る「チ。」の源流

 映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」

 「チ。-地球の運動について-」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を史上最年少の24歳で受賞した漫画家・魚豊(うおと)さん。随所に見られる衝撃的なセリフや展開が多くの読者の心を打った本作の連載前に、ある映画を見て作品作りに影響を受けたそうです。2月3日付け朝日新聞紙面「私の描くグッとムービー」欄に収めきれなかったお話しをお届けします。

(聞き手・宮嶋麻里子)

 

 ーー魚豊さんに、お薦めの映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」のイラストを描いていただきました。まだ見ていない読者に向けて、映画の概要を教えてください。

 魚豊 主人公のトレーダーが、株取引で勝つために、「誰よりも速い回線をつなげば、誰よりも早く取引ができるじゃん」と、めちゃくちゃ長くて直線の光回線をアメリカ大陸に引こうとする話です。日本公開された2019年に映画館で見ました。もともと主役のジェシー・アイゼンバーグさんが好きで僕的にハズレがないのですが、予想を超える面白さでした。

  ーーこの映画のどんな点にひかれたのでしょうか。

   魚豊 この映画が描いているのは、すごく努力しているのに、途中でがんが見つかって、しかもその後、敵対勢力にとんでもない資本の差を見せつけられて完全に敗北してしまう、ただただ敗北する人たちの話なんです。それがとにかくいい。ものすごく小さな個が頑張るわけじゃないですか。資本のバックアップとか、何のアセットも持ってない人たちが、個人の力で何とか打開しようという、アメリカンドリームの熱さもありますが、結局それは株取引や金融の空しさに乗っているので、空騒ぎに終わってしまう。一方で、主人公の従兄弟(いとこ)が量子コンピューターで突破するような全く新しい方法を考えて、死が近づく主人公を慰める人間的な成長とか。バーでレモンの株取引の例え話をしているうちに、農家の気持ちを考えていなかったことに気付くシーンとか……。経済的合理性が取りこぼしてしまっている周辺の存在も暗示的に描こうとしている。

 

■主観的な時間を取り戻す、ということ。

 魚豊 極めつきは最後のシーン。主人公がいよいよ死にそうだ、というときに、経済とは全く遠いところにいる存在としてアーミッシュが描かれます。アーミッシュは昔の生活様式を送るキリスト教の人々の集団ですが、そのアーミッシュ村の納屋で、主人公が「もし自分が16ミリ秒、0.000・・・何秒しか人生がないとしたら、そこにしか命とか記憶とか感覚がなくて、バックアップもないとしたら、それってどんな命なんだろう?」といった質問をするんです。そこで、超天才の従兄弟が「わからない」と返すのが、まずすごくよい。そして「わからない」と言った後に、「100年生きた人と同じくらい長く感じられるよ」と続ける。これは沁みました。

 主人公が命と人生をかけてやったことが全て無駄に打ち砕かれて、しかもそのやっていること自体も別に褒められることでもない。そんなことに命をかけてしまった人の一瞬を肯定する、すごく優しいセリフだなぁと。そのセリフが放たれた瞬間に画面はスローモーションになって、水のしずくがゆっくりと落下する映像になる。このシーンが示しているのは、我々人間という客体にとっては取るに足りない一瞬の出来事でも、主体である落ちる水にとっては100年生きたことと等しい経験や時間感覚があるって事なんだと思います。

 時間とか経験とかって実はそういうものではないでしょうか。フランスの哲学者ベルクソンが「純粋持続」とか言っていますが、時間というのは量的ではなく質的なものかもしれない。だから「濃さ」というのが人間が経験しうる本当の時間で、それは量的な何秒っていう物理的なものよりも、かけがえのないものではないかと。

 そういう考えは、映画や、物語自体にも当てはまります。上映時間が45分しかなかったり、コミックスが3巻しかなくても、そこに濃い時間があるのならば、それは100年生きたのと一緒。ここに客観的時間という数値的な量は関係なくて、その時間を生きて、自分にとってその時間がどのくらいの意味を持つかというのが、重要なことだと思うんです。

 こんな感じで、客観的価値に還元できない物の尊さ、一生懸命に生きている人たちを見たり、自分が一生懸命に生きたりするということは、絶対に無駄じゃないんだということを描いているのがすごくよかった。

 この作品全体を通して見ると、客観的価値や、文字通り物理的時間にすごく翻弄(ほんろう)される人たちが描かれます。ある意味、自分たちの人生という時間を奪われている人たちなんですが、最終的に主観的な時間を取り戻すという。それは映画を見る、物語を見るっていう我々の営為みたいなところとつながっている。

 合理的で効率的なファスト映画には近寄れない、非効率でやっかいな映画の矜持が、そこに立ち現れている気がして、とても好きなんです。

 

■デッドマン装置。ゴリアテ。

  ――質的な時間は量的な時間に勝るという考え方や、命をかけるほど熱中するものがある人間の姿は、魚豊さんの作品でも描かれていますね。漫画を描く上で、この映画「ハミングバード・プロジェクト」から得られるものはありましたか。

  魚豊 ありました。この映画を見て、その後に「チ。」を描いたんですが、多少なりとも影響を受けています。具体的には、映画序盤に、従兄弟がパソコンか何かを隠しているシーン。実はそれが伏線で、自分がもし死んだとしたら作動して相手に迷惑をかけるという「デッドマン装置」なんです。最後の方で従兄弟が証券取引法違反容疑で捕まっているときに作動する。この人ははじめから見越して、仕込んでおいたんだと分かって、単純ながら、これはいい描写だなと思いました。

 「チ。」でいうと、頭脳明晰な修道士バデーニっていうキャラがいて、彼がホームレスの人たちの頭に刺青を残しているんです。それがデッドマン装置になるのですが、先々のために仕込んでおくキャラは頭がいいという、そういうシーンを入れたのは、この映画から影響を受けていると思います。

  ――映画の最後の会話シーンに心を打たれたとのことですが、魚豊さんの作品を読むと、それを知った後と前とでは読み手の人生が変わるような衝撃を受ける言葉に出会うことがあります。映画のセリフに注目することは多いですか。

  魚豊 映画でいうと、自然な対話、つまりレトリックがゴテゴテに凝らされていないものが放つ魅力もあるとは思うのですが、この映画はレトリック系のセリフの強さもある。そういう化学調味料が入ってるのも僕はすごく好きです。ライバル企業が建てた巨大なアンテナみたいなものを「ゴリアテ」と言っていたりして、現代の巨人ってあれなんだろうなっていうセリフ選びがいい。ウィットと粗野が同居していて、そういう映画が結構好きなんですよ。「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)もそうですけど、それ系の映画だなっていう。

  ――「ソーシャル・ネットワーク」の主演もジェシー・アイゼンバーグですよね。

  魚豊 そうそう。ジェシー・アイゼンバーグ! キャスティング、すごいいいなと思います。早口で理屈っぽいのが好きなので、彼にくる役が特に好きなんです(笑) 。

  ――魚豊さんの作品の展開には驚きっぱなしです。読み切り作品の「佳作」も「チ。」も、予定調和ではない展開が印象的でした。映画から影響を受けたことは何かあるのでしょうか。

  魚豊 勿論、それもあると思いますが、自分が大きく影響を受けているのは、お笑いとヒップホップと哲学だと思います。全部浅学ながら、それがグニャッとミックスされてなんか変に入力された感じで。お笑いの暴力的で唐突な展開とかセリフ回しなんかから、間の取り方とか漫画的な文法の影響を受けていると思います。

 

■こんなことで終わっちゃうんだ、というあっけなさ。

  ――魚豊さんは「ひゃくえむ。」「佳作」などの作品でスポーツを題材にしていますね。

  魚豊 僕自身はスポーツの経験は全く無いんです。「ひゃくえむ。」は、2016年リオ五輪のときにテレビをつけていたら、予選で1人の選手がフライングで一発退場になったのを見たことがきっかけでした。あの選手は今の一瞬。数ミリ数センチのちょっとした揺らぎで、次のチャンスは4年後になってしまうんだ。いや、それどころか、この選手にとっては人生最後のオリンピックだったのかもしれない。人生全てをかけたものが、今この数センチくらいの動きで終わってしまったというのが、スポーツを知らない僕からしたら衝撃で、めちゃくちゃ究極の世界だと思い書こうと思いました。

  ――「こんなことで終わっちゃうんだ」というように目標が頓挫するのは、「ハミングバード・プロジェクト」とも重なりますよね。

  魚豊 そうですね。自分のやっていたことが空しかったり、こんなことで終わっちゃうんだっていうあっけなさだったり。重い挫折じゃなくて、あまりにも唐突で無意味で軽い。本当に空虚に突き落とされるような感じ。「えっ? 今終わった? これだけ??」っていうような感じがすごく好きなんです。自分がやってきた熱量と、意味や結果とが釣り合っていなさすぎるみたいな。でも、人生ってそういうもののような気がして。みんなめっちゃ頑張って意味みたいなものを探しているけど、結局それは本当はどこにも無くて、だけどそれを必死に探さないといけないのが人間で、そこを探していくことと、そしてそれに裏切られても生きていくことは、全部ひっくるめて、やっぱり良いものなんだと思いたい。だから漫画を描いているというのはありますね。

 

取材後記

 この人は天才かもしれない……。そんな出会いをしたとき、私はこの世界に感謝したくなります。今回取材した魚豊さんは紛れもなく、そういうお一人でした。こちらの問いかけに対して、ごく短時間のうちに、よどみなく、知的な言葉と砕けた言葉を織り交ぜながら、しかも想像を超える返答を放ち続けるのです。お笑いとヒップホップと哲学に影響を受けたというように、現代的な感性と「チ。」の登場人物のような賢者の側面を併せ持つ方でした。

 魚豊さんは、映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」について語る中で、人生の核心に迫る話しをしてくれました。例えば、「主人公が命と人生をかけてやったことが全て無駄に打ち砕かれて、しかもそのやっていること自体も別に褒められることでもない。そんなことに命をかけてしまった人の一瞬を肯定する、すごく優しいセリフ」「我々人間という客体にとっては取るに足りない一瞬の出来事でも、主体である落ちる水にとっては100年生きたことと等しい経験や時間感覚がある」という映画の見方。「肯定する」という言い回しを、魚豊さんは普段から度々用いていますが、このことは魚豊作品そのものとも密接に関係していると感じます。ありえないほどの思いを持って何かに没入する人間の命の煌めきを描くだけでなく、のめり込みすぎたせいで生じた不具合さえも肯定する寛容さ。それが魚豊さんの作品にはあり、「ハミングバードプロジェクト」のラストシーンとも共振しています。

 この映画を見たり、魚豊さんの作品を読んだりしたら「これほど素晴らしいものと出会えるなんて、この世界、この時代って最高じゃん!」と思えるかもしれません。私がそうでした。お薦めです。

(宮嶋麻里子)

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