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【SPECIAL】「怖い-毒=可愛い」の方程式
竹内泰人さん「グエムル 漢江の怪物」を語る

 2021年11月~22年3月に放送されていたNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」。そのオープニング映像を手がけたのが、コマ撮り映像監督の竹内泰人さんです。「想像を超えるような、好奇心をかき立てるような物語が好き」と言う竹内さんが選んだ映画は、「グエムル 漢江の怪物」(2006年、ポン・ジュノ監督)。映像監督ならではのユニークな視点で怪獣映画やホラー映画の魅力を語ってくれました。(聞き手・片山知愛)

 

 

 ――竹内さんは映画が大好きだと伺いました。その中から「グエムル」を選んだ理由をお聞かせください。


 竹内 グエムルは映像を作っていく上での演出とストーリーのエンターテインメント性が素晴らしい。コマ撮りアニメーションで映像を作っている身なので、スローモーションとかピンぼけとかの演出が気になるんです。そういうテクニックがたくさん入っていて、さらに家族の物語として感動もする。子供のころから見てたいわゆるゴジラ・ガメラのよう
な怪獣映画とは全く違うセンスで作られていて、度肝を抜かれました。そのテクニックのすごさに尊敬の念を込めて選びました。

 

 ――「テクニック」とは?

 

 竹内 グエムルの登場シーンからびっくり。冒頭、怪獣のグエムルがすでに橋の下にぶら下がっているのがもう見えちゃっているんですよ。僕としては「ジョーズ」の頃からモンスターの存在は背びれや影だけがちらっと見えて「何かな、何かな」ってドキドキした先に「わあー出てきた!」っていうのがパターンだと思うんですけど、グエムルはカットが変わると遠くに映ってて「なんかいるね、あそこ」「あれなんだ?」ってなる。映画の中の人はグエムルの正体が分からないから、ゴミとか投げつけてちょっかいを出すんですね。ここはコメディなんですけど、でももし本当に得体のしれない物に出くわしたら、こういう間抜けな反応をするかもなっていうリアルさを感じました。「怖さを見せよう」っていう演出をここはあえてしてないんですよね。
 その後グエムルが次々に人を襲って、画面上には逃げ惑う人と何が起こっているか気づかずに襲われてしまう人がいた。交通事故や地震が起こるときも「危ない」って気づいている人と、危ないことに全く気づいていない人が同居することはあるなって。それがリアル。観客はグエムルが危ない存在だって分かっているからこそ、気づいていない人に対してハラハラするんですよね。「気づいて気づいて、志村、後ろ~!」って(笑)。これはだいぶ単純じゃない演出をされていて、そこがレベルが高いって思いました。怖がる人を画面に見せて観客を怖がらせるだけではない、より複雑なことをして僕らを怖がらせにきている。あらためてポン・ジュノ監督はすごいなって思いました。

 

■襲ってこないことの恐怖

 

 竹内 僕はホラー映画も好きなんですが、一つ持論がありまして。「襲ってこないときのほうが怖い」んです。ゾンビが来たら当事者は殴るとか叫ぶとかっていうリアクションがとれるんですが、最初のほうで一瞬主人公のカンドゥが「あ、俺襲われてない!」って、ちょっと安心する数秒間がある。「このあとどうしよう」って選択肢があるような、ないような、みたいな。日本のホラー映画「リング2」でも貞子が通りすぎるのを女子高生が息を殺して待つシーンがあって。リアクションがとれないほうが怖くないか?って。見つかったら走って逃げるとか防御したりできるけれど、どの行動を取るのが正解か分からないほうが怖い。だから僕の中で一番怖いホラーは「リング2」のあのシーンかな。

 

■スローモーションの極意

 

 竹内 カンドゥが娘の手を引っ張って逃げるんですけど、転んで手が離れちゃって。もう一回つないで安心するんだけど、振り返ると違う女の子だった。そこがスローモーションでじわじわと見せられて、あれ? もしかして違うの?? どうなの?!って。映画や映像作品には時間軸があるので、カット割りすると観客の理解よりも早くストーリーを進めることが簡単にできる。観客を置いてきぼりにしてしまう場合と、置いてきぼりにすることで混乱をわざと作るっていう演出も可能だと思うんですけど、スローモーションでじわじわ見せられるとがっかりやびっくりの時間が延ばされるんですよね。違う女の子を助けちゃった失敗にじわじわ気付くことでショックが大きくなったと思います。その後、カンドゥが後ろを見たら自分の娘が倒れていて、助けを求めるような視線を向けて立ち上がるその後ろで、遠くのピンぼけしたところにグエムルが襲ってきていて「こっち来る!」って。ここも普通に怖さを演出するなら、グエムルの牙のカットとか走ってくる足元の寄りとかもっと激しくカットをつないだら「来る!」っていうのが分かりやすいんですが、ピンぼけの奥からゆっくり来ることで、「後ろ後ろ!」って、観客のこちら側だけが慌てる。

 もう一つすごいのが、グエムルが走って来て1回娘の横を通りすぎるんですよ。グエムルが画面からいなくなって「助かった」って思って1秒ないぐらいなんですが、次の瞬間、グエムルの尻尾がぐるっと娘を捕らえて水の中にドボンと入り、向こう岸に着いたら娘をのみ込んでしまう。その様子を見て「もうだめだ」って絶望する。1回上げて落とす、希望と絶望がものすごい数のジェットコースターをさせられているようでとにかくすごかった。この演出の仕方にはもう感服ですね。

 

■グエムルVSカンドゥ一家の闘い

 

 竹内 娘が死んでしまったと思っていたカンドゥの携帯に娘から電話がかかってきて、カンドゥ一家は娘が生きているって信じるんです。でも、政府や軍隊は信じてくれないんですよね。これは他人に任せていられないとなって、自分たちだけで頑張るという物語の流れがとてもきれい。怪獣退治は軍に任せたほうが合理的だってなるところを家族が立ち向かう、家族愛が動機のストーリーだって分かるのが素晴らしい。
 娘はグエムルに捕まったあと、下水溝に閉じ込められてしまうのですが、そこに小さな男の子も捕らえられ、その子を助けようと今度は娘が頑張るんですよね。最初は守られる側、100%被害者だったところを、手を打ちに行く側に回るっていう成長物語がある。最終的にその男の子はカンドゥが引き取って育てるんですが、血のつながりじゃない着地点、そこも好きです。2人で晩ご飯を食べていると、男の子がカンドゥに「テレビ消しなよ」って本当の親子みたいに。もう、親子でご飯を食べることが一番幸せに決まっているじゃん!って。僕が家族を持ったからそう思うのかもしれませんが。主人公が有名人になってピカピカした世界に行くとかじゃない物語の流れに胸を打たれるし、結果この映画は「家族の物語」なんだなって思いました。


 ――竹内さんが印象に残ったシーンをコマ撮りアニメーションで作っていただきましたが、なぜ赤ずきんちゃんとオオカミなんでしょうか。

 

 竹内 僕、紙が好きなんです。「カムカムエヴリバディ」で手掛けたオープニング映像の時と同じ手法なんですが、1枚1枚はぺらぺらだけど重ねると奥行きを出すことができる。それが面白いと思ってて。今回作ってみたいと思ったのが、娘の後ろから迫ってくるグエムルがピンぼけになってるシーン。でも、グエムルのデザインは複雑で僕には作れないし、顔を描くのも得意じゃないから娘もうまく作れない。じゃあ得意なもので作ろうって考えて「手前に可愛い女の子、奥に怖い存在……。あ、赤ずきんとオオカミじゃん!」って。画用紙でパーツをいくつも作って、木や草をちょっとずつ距離をとって配置すると奥がピンボケする撮影ができました。準備を含めて約10日かかりました。


■コマ撮りにしかできないこと

 

 竹内 今回はしわや凹凸の入った紙を選んで草や木の質感を出し、紙を切る作業はパソコンのソフトとカッティングマシーンを使用しました。データっぽいデザインとリアルな質感をあわせた作品になったと思います。コマ撮りをやっていて思うんですが、もう3DCGのアニメーションでもほぼコマ撮りと同じことができちゃう時代で、何をしたらコマ撮りの価値が残るかなって常々考えています。

 

――竹内さんが考えるコマ撮りにしかできないことって?


 竹内 「誠実さ」だと思っています。本当にちゃんとものを作って撮影しました、っていうまじめさが伝わること。画面に映るものだけを考えると、CGでコマ撮りっぽいものが作れるし、コマ撮りでもCGに近いものが作れます。もちろん僕はCGも好きですし、尊敬もしてるし誠実じゃないとは全く思ってません。でもコマ撮りでどうやって作ったかという、作り方のストーリー部分、メイキング部分を見たときに「コマ撮りで作ってるんだ、この美術本物なんだ、撮影にそんなにかかっているんだ」ってことを聞いていっそう感動する時代なので、そのことを含めてコマ撮りの良さを伝えていかないといけない。そうすると「私にもできるかも」って思ってもらえる。より映像を身近に感じてもらうことの付加価値がコマ撮りにある良さかな。


■怖い物が可愛くなってしまう理由

 

 ――あんなにグロテスクなグエムルが愛らしいオオカミになるとは。どこで可愛いにチェンジされたんですか?

 

 竹内 それはですね、僕は見たい作品と作れる作品が違うタイプの作家でして……。ホラーや怖い作品、グロテスクなものも平気で見られるんですけど、自分で作ることはできないんです。すぐ可愛いものになっちゃうんですよね。グエムルを可愛いに変換したんじゃなくて、自分の中の引き出しを開けたら「可愛い」だけが入っている、みたいな。


 ――それは誰かを怖がらせないように?

 

 竹内 それはありますね。僕の作品作りにおいて「嫌われたくない」という思いが結構大きいんです。とがりたいと思う時期もあって岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」っていう本を読んだこともありますが、自分の中に毒がないってことに気づいて(笑)。それでもホラーとかグロテスクな作品が見られるのは、ひょっとしたら僕が平和だから見ているっていうのもあるかもしれないですね。


 ――それは怖いもの見たさ?

 

 竹内 怖いもの見たさだし、エンターテインメントを楽しむ心。うそをうそだと思ったまま楽しむ心とつながっていて。「この映像はフィクションだ」って分かった上で見て、手に汗握ったりハラハラしたりするのが好き。逆にリアルすぎるものが苦手で、ドキュメンタリーはほとんど見ないんです。
 ホラーじゃないフィクションもすごく好きだから、「her/世界でひとつの彼女」や「ガタカ」も好き。ミシェル・ゴンドリーとか、スパイク・ジョーンズとかの作品はうそっぽいことをうそっぽいまま出してくる感じがすごく好きですね。

 

 ――想像を超えるものが好き?

 

 竹内 そうですね。想像していなかったものを出されるのが一番好きです。それで言うとSF映画の「プリデスティネーション」も超やばい作品で、度肝を抜かれましたね。


 ――グエムルの中での恐怖のシーンはどんな感情で見ていますか。

 

 竹内 けっこう「怖い」って思いながら見ています。映像以上に怖がっているときもあって、本当は怖くないシーンも「今からモンスターが出てくるんじゃないか」っていう想像をして勝手に怖がっているんです。

 

 ――それって見るにたえなくならないんですか。

 

 竹内 ならないですね。「最近ホラー映画見てないな、胸がザワザワしていないから見よう」みたいな(笑)。


 ――好奇心が上回る?


 竹内 全然上回っていますね。だから、怖いって言っても本当の恐怖ではないんです。「監督はどんな発想でこちらを怖がらせてくれるんだろう」っていう、手品を待つ観客の気持ちに近いかもしれませんね。

 

 

取材後記

 大好きなドラマ「カムカムエヴリバディ」のオープニング映像で、心温まるコマ撮りアニメーションを披露してくださった竹内さん。その作風から「ほっとするようなかわいらしい映画がお好きなんだろうな」と想像していたのですが、竹内さんが挙げてくれた好きな映画リストの大半はホラー映画でした。怖がりな私は「ついにホラーの扉を開ける日が来たか……」と恐る恐る見る決心をしたことを覚えています。

 好きな映画リストから竹内さんが選んだ作品は「グエムル」。無作為に人を襲ったり飲み込んだりする姿はもちろん恐ろしかったのですが、それを上回るほど家族の物語がていねいに描かれていて、見終わった後には大好きになっていました。竹内さんにお会いする前に5回は見たと思います。

 取材時に竹内さんに答え合わせするようにお話を伺うと、さすがの監督目線で「突然のカット割りからのグエムルの登場」とか「スローモーションを取り入れることの意味」といった話をしてくれて、それは私が見ただけではとうてい気づかなかった目線でした。怖い、恐ろしいの先にあるエンターテインメントの楽しさ。食わず嫌いでホラーを避けていたことが、なんだかもったいないような気がしました。

 竹内さんが今回のために作ってくれたショート映像は見ていただけましたか。ポスターになっているあのシーン、グエムル改めオオカミが、女の子改め赤ずきんに花束を渡そうとしてほおが赤くなっているではありませんか。どうしたらあのグロテスクな怪物が、こんなにかわいく変換されるのかを伺ったところ、「「変換」したのではなく、自分の引き出しの一番上を開けたら「かわいい」が入っている」と。意図的にかわいくしたのではないのです。竹内さんには6歳と3歳のお子さんがいて、登園やお迎えをしたり、ご飯やお風呂をともにして毎日があっという間に過ぎるそうです。また、自分の中に毒がないともおっしゃっていました。竹内さんの「かわいい」の表現は、こうした心の平穏が生み出す賜なのではないかと思いました。

 小さいとき、マジシャンになりたかったという竹内さん。コマ撮りアニメーションのメイキングを見ると、こんなにも細やかに作られているのかと驚かされたり、分かる人には分かるようなアイテムを隠れキャラのように紛れ込ませていたりします。まさにマジシャンのようです。これからも竹内さんの作るものに驚かされたり、感動したり、いろいろな気持ちになってみたいです。

(片山知愛)  

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