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ダメな自分も肯定していく
横山雄さん「ギター弾きの恋」を語る

 

 自在な線が特徴のイラストのほか、本のデザインなども手掛ける、画家・デザイナーの横山雄さん。横山さんの「グッとムービー」は、1999年公開、ウディ・アレン監督の「ギター弾きの恋」。自身の出来事と重なって特別な作品となっているという映画への共感点や、行動を蓄積した「時間のメディア」でありたいという制作活動への思いをお話しいただきました。3月8日の朝日新聞夕刊紙面「私の描くグッとムービー」欄に収めきれなかったお話をお届けします。

(聞き手・深山亜耶)

 

ーー「ギター弾きの恋」を10年ぶりぐらいに見られたとのことですが、初めて見たのはいつでしょうか。

 初めは18、19歳くらいの時ですね。当時は3年間ほどTSUTAYAさんでアルバイトしていて、たくさん映画を見られたので監督別で見たりしていました。

 

ーー映画が好きでTSUTAYAさんのアルバイトを選ばれたんですか。

 その当時は、音楽が好きでアルバイトを始めました。映画は「有名なものはちゃんと見ておかなきゃ」という意識が強かったものですから、それで見ていった中でこの作品はすごく印象的で、今思い返してもいいなと思いますね。映画がテーマの絵のグループ展でも、一度この映画をテーマに描いたことがあります。

 

ーーウディ・アレン監督の映画で一番初めに見たのはどの映画でしょうか。

 やっぱり一番有名な「アニー・ホール」から見ていきました。

 

ーー今回「ギター弾きの恋」を選ばれた理由を教えてください。

 自分が「映画を見たい」と思う時って、「作りものっぽい」もの、「嘘っぽい」ものを見たいって思うことが多いんです。この映画も、始まる時にクレジットと一緒にレトロな音楽がかかって始まり、実在した人物のドキュメンタリーのようなインタビュー映像が流れます。

 ウディ・アレンの作品は都合よく進むものが多い中、「ギター弾きの恋」は、尺は短いけれど動機が語られている部分があります。最初に見た時は「だらしがなくてダメな奴だな」くらいに思っていた主人公のエメットですが、改めて見た時、「父親に虐待を受けていたけど、母親が歌う歌がすごい好きだった」とカミングアウトするシーンに気がつきました。

 「あなたは人と向き合うのを怖がっているだけで、人と向き合って自分の気持ちをちゃんとさらけ出せるようになったら、もっといい音楽ができるのに」みたいなことを、序盤で女性に言われている。だから、ダメな人というよりも「人と真剣に向き合うのが怖い人」なのかなと思いました。ただ単に良い、悪いとも言えない部分があると思いましたね。

 サマンサ・モートン演じるハッティは人生がうまくいっていてダメなエメットがうまくいっていないように、ご都合主義的に描かれていない部分もありつつ、でも嘘みたいなことが起こって解決しちゃうところもあり、そういう部分も含めて「作りもの感」があります。ひるがえって、リアリティーを追求するより逆に現実っぽいなと思うんです。人生ってそうかも、と思う部分が。

 

ーーたしかに……。現実は意外とそんなものだったり。

 なんだろうな……。自分の身に起こっていることに対しても、「しょうがない」って前向きな気持ちになれるというか。「こんなもんだよな」って思えたり。誰でも何かしらダメな部分があると思うけど、映画の存在が自分を立ち直らせてくれるし、「それでも日々は続くよ」と元気をもらえると思いました。

 

ーーそういう面があるからか、繰り返し見たいと感じる作品でした。

 そうですね。高カロリーの映画はなかなか繰り返しては見られないこともあるので……。この作品は、バーや家で流しっぱなしになっていてもいいですよね。あと、やっぱり90分って短くてちょうどいい尺ですしね。

 爆発がすごい映画も好きですし、「これにいくらかかった」みたいなエピソードもばかばかしくて好きなんですけど。おそらく何度も見られるっていうその反復性は、低カロリーの作品の方があるのかなと思います。

 

行動が見えると、ドキッとする

ーーエメットが偽札製造のアジトへ突っ込んでしまうシーンを、今回イラストにされています。崇拝するフランスのギター弾き、ジャンゴ・ラインハルトが自身の演奏会へ来ているという噓を信じて慌てふためいてしまいます。

 私自身、20代の頃に住んでいた賃貸で住居トラブルがあったんです。若くてお金もなかったので戦っていたけど、やっぱりしんどくて。住環境が脅かされるのは生き物としてすごくストレスでイラついていたし、不安だったんですね。たまたまその時に中学時代の同級生に誘われて一緒に出した広告賞で、賞金が入ったんです。「もうお前は争い事とかはやめて、これでとっとと引っ越しなよ」って言われている気がしたんです。

 映画では、たまたま飛び込んだ偽札製造のアジトでお金を急に手に入れて事態が解決してしまう。偽札なんだけど……。でも人生ってそんなもんだと思って。自分の中で映画とその出来事とが重なって、「それでなんなく引っ越しをしました、チャンチャン」みたいな。実際は人生ってそういう嘘っぽいことの方が起こるもので、自分のエピソードも相まって特別な映画になってしまいました。

 

 

 

 ーー描いていただいたのはこちらのイラストです。制作にあたって特にこだわられたポイントは、どのようなところでしょうか。

 あまり人物にフォーカスせず顔は見えないくらいで、この「出来事のおかしさ」がなるべく出るような絵にしてみました。

 知らない人が見ても面白いと思うし、映画を知っている人が見たら「あ、そこなんだ」って思うかもしれません。この映画を描くとなると、ギターを弾くエメットとか、この作品が出世作となるサマンサ・モートン演じる可愛いハッティとかを描くと思うんです。「ここか」みたいなところを探しました。

 

ーーご自身の作品では余白を大切にされているとおっしゃっていました。下書きはされているんでしょうか。

 余白を美しく保つために直すという行為をなるべくしないようにしていますが、下書きはめちゃくちゃしています。大体、別な紙を使っていますね。それをしっかり転写します。基本は竹ペンを使っていて、下書きは鉛筆です。

 なんとなく自分では、あまり大きく面で塗らないという縛りを設けています。なるべく行動が見えるようにしたいので、あまり綺麗に塗りつぶすことはしていません。スミ1色だけで空間や奥行き、光を表現したり、重心やコンポジションを考えたりするためには、線の太さが唯一調整できる部分だったりします。なので、バランスを取っていくために太さは割と繊細に調整していきます。

 

ーー私自身、大きな絵画展へ行っても下絵など線がよく分かる絵にひかれます。

 それがなんでドキッとするかって、やっぱりその人の行動が見えるからですよね。がっつり完成していると、どこから始めてどう動いていったのかは、やはり辿りづらい。土台となるものの強度も関係していて、キャンバスよりも紙の方が繊細だし緊張しますね。

 

自分を肯定し続ける

ーー「書道のように紙と向き合って作品を作る」というお話もされていました。観察するというよりも「紙と向き合って描く」という姿勢は、今回の作品でもそうでしょうか。

 そうですね。変わらず。映画は見ましたが、全然こんな角度ではないんです。状況を再現することよりも、紙と向き合って、自分が判断して行動することを繰り返すことでものが出来上がっていくことに自分の関心があるので、どちらかというと今回もそうですね。

 多分自分が映画とか音楽が好きなのも、行動の連続で時間が蓄積されるような「時間のメディア」に対しての憧れがあって、自分の作品は平面だけど行動や判断によって何かが蓄積されていくこと、「時間のメディア」であることを意識した作品に感じられるようなものにしたいと思っています。

 完成したグラフィックを人に見せたいというわけじゃなくて、自分がこう思ってこうして……というプロセスや時間を、人と共有したいのかもしれません。絵を描くということ以外にも、生きる上で自分が「こう思って、こういうことを選んだ」とか、それでうまくいったとか失敗したとか、そういうことの連続によって人間が立ち上がってくるっていうことと、すごくリンクしていると自分は思っていて。

 

ーー一つ一つの選択や行動から人ができているように、絵も一つ一つの選択からできている、ということでしょうか。

 そうですね。だからペンでの清書では、間違ったと思った線があってもそれを消して書き直すことはせず、生かして制作しています。自分の生き方を肯定し続けることによってしかゴールはないし、それは自分の人生が励まされることでもあると思っています。

 自分の作品を見ながら人と対話することも、自分にとってセラピー的な要素があります。臨床の治療法で箱庭療法というものがあるんです。物を箱の中に置き、それを見ながら「これはなぜこういう風に置いたの?」という質問に答えていくことで、自分の潜在的な気持ちを言語化していくんです。個展で作品を見ながら人と対話することは、これに近いというか。「なぜ自分はこうしたのか」をひたすら人に説明しまくると自分でも「こんなことを思っていたんだ」という気付きがあります。人と会話をするっていうことによって、色々なものがほどかれていき、自分が落ち着いていくんです。その一連のプロセスが好きですね。それによって癒され救われて、自分を維持できるサイクルになっているということなのかもしれないです。

 映画の内容とちょっと無理やり繋げると、やっぱり根底には自分はそんなにすごい奴じゃなくてダメな奴という感覚があって、失敗して落ち込んだりすることがすごく多いので、優等生じゃないっていう意識がずっとあります。だからエメットの人間の形成され方とか、そういうダメさに対するこの映画の肯定の仕方、そういうものに凄く共感して見てしまうんだと思いますね。

 

ーー映画に共感する部分があるんですね。

 ダメさをしょうがないと思えるところとか……。自分の人間のスケールとして、大きい社会問題に向き合って戦っていくとか、そこまでのパワーはない人間だけど、だれもが抱えているような小さい問題に対しては向き合っていけるしそういう小さい問題を扱っているものが好きなので、何か生きるヒントになるようなものにどうしても共感してしまうのかなと思います。

 

「憧れ」が未来をつくる

ーー憧れる人として、イラストレーターで映画監督でもある和田誠(1936ー2019)さんをあげられていました。和田さんのように都会的で楽しくお酒を飲んでいるようなライフスタイル、明るく軽やかなところ、そういうところが、取材前にいくつかあげていいただいた映画作品にも通じるところがあるように感じました。

 ありがとうございます。ありますね。でも、どの仕事もそうだと思いますが、イラストレーターという仕事も一番いい時期と比べちゃうとなかなか難しいのだろうと思いますが、憧れますよね。文化的で。そういうお酒の場も交流の場になっていたんだろうなという感じがしますし。実際そういったお店のロゴを、和田誠さんが手掛けられたりしています。

 

ーーご自宅と思われる場所でレコードを流されていましたね。

 そうですね。自分はそうやって先代の方々が格好つけてくれたおかげで憧れることができて、「こういう仕事がやりたいな」って思うことができました。中身は子供のままだけど、でもやっぱり自分も次の人たちにむけて「こういう仕事をしたいな」「憧れるな」って思ってもらえるような大人を演じないと、と。嫌なんだけど、その順番が回ってきていると思うんです。

 

ーー憧れってすごく大きな力になると思います。楽しそうに生きている人がたくさんいる世の中だといいですよね。

 そうそう、そう思います。

 

「所作」「描写」にひかれて

ーーポートレートを描かれる際、他者だけでなく自分も含まれるというお話もされていました。それは、自分が見た他者である、ということでしょうか。

 そうですね。自分が世の中をどう捉えているかということが絶対に出ちゃうので、嘘はつけないですよね。

 

ーー人物に関する作品は多数ありますが、モデルはいらっしゃるんですか。

 ほぼ、ないですよ。人物に関しての方がないですね。

 

ーー人物のポーズも考えられている、ということでしょうか。

 そうですね。どちらかというと形が先にあります。慣れてくると自分の得意なことばっかりしちゃいますから、あえて左手で下書きすることもありますし。うまくいったことを覚えているんでしょうね。生物としては正しいと思うんですけど。

 

ーーコンテンポラリーダンスなど身体表現の影響があるとのことですが。

 自分がずっと関心があるのは、そういう行動とか所作との関係性。なぜ関心があるんでしょうね……。

 「ものすごい映画を見た!」というような映画より、自分が好きなのは、シーンや動きなのだと思います。ちょっと乾杯する場面とか、人と人との関係性、そういうちょっとしたシーンが「あ、綺麗だな」って思う。そういうことの連続です。なので、自分がそういったことに興味があるんだろうな。これは、今後もゆっくり考えていきたいですね。小説も同じで、物語の本筋よりは描写がとにかく「好き」「綺麗」と思うものは、永遠に読める気がします。

 

ーー最後に、幼稚園の頃からずっと絵を描かれているとのことですが、絵を描いていて楽しいと感じる時って、どんなときですか。

 おー、そうですね。完成した時は好きですね、一番。純粋に嬉しいですね。

 

横山雄 1988年、東京都生まれ。本の装画やデザイン、美術館展覧会のアートディレクションなどを手掛ける。全国各地で個展も。

ホームページ:http://yokoyamaanata.com/

Instagram:https://www.instagram.com/yokoyamaanata/

 

  

編集後記

今回の取材で、これまで持っていた2つの疑問に対する答えをもらった気がします。

「線にひかれること」。美術には詳しくないですが、線をよく見てしまいます。横山さんがくれた答えは「線には行動が現れているから、ドキっとする」。「何を思って、こうなったのか」、答えをどこかに求めているのかもしれません。

2つ目は「興味の対象がストーリーではないこと」。勝手に強く共感していました。映画の忘れられない場面、あのタイミングでかかったあの音楽、小説の「、」の打ち方から生まれるリズム感。場面だけは強烈に覚えているのに、何のタイトルか思い出せないものもいくつかあって、悔しい限りです。「好き!」という瞬間に浸っている時間を求めているのだと思いました。

 横山さんの絵に一目惚れしてから約1年。「グッとムービー」で取材したいという念願がかないました。

自在な線に対して、具象画以上に生もののような、動き出してしまうようなリアルを感じます。それは平面の中に幾重にも蓄積された横山さんの行動が、浮かび上がらせるのかもしれません。

選んだもの、選ばなかったもの、その結果が1枚の絵になっていて、何度でも眺められるって、なんて素敵なんだろうと思います。

遠くから眺めたり、近くから筆跡を追ってみたり、時にはその線からなるポートレートが自分の中の空想で具体的に浮き上がったり、色んな方法で楽しませてもらっている気がします。

絵画や映画、小説……。「作りもの」に浸る時間は現実を忘れているようでもあり、でもそれが確実に現実の助けになっているように感じます。

(深山亜耶)

◆2024年3月8日の朝日新聞夕刊「私の描くグッとムービー」

https://www.asahi-mullion.com/column/article/dmovie/5952

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