シンプルに描かれた物憂げな女性たち。多摩美術大で学び、広告・書籍などを幅広く手掛ける赤さんが学生時代に見て、泣いてしまったという映画「インターステラー」や、制作についての思いを取材しました。
(聞き手・島貫柚子)
赤 あか イラストレーター・グラフィックデザイナー。2018年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。広告・書籍などに幅広くイラストレーションを提供。東京イラストレーターズ・ソサエティ会員。 |
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――「赤」というペンネーム、ユニークですね。
本名にこの漢字が入っているんです。SNSを中心に活動を始めたとき、「匿名性が感じられる方が、作者ではなく作品に興味がいくのではないか」と考えました。改名するタイミングはありませんでしたが、エゴサーチには向いていないです。
――ふだんは泣かないのに、劇場で泣いてしまったという「インターステラー」。どんな作品でしょうか。
地球がひどい食料危機に陥り、まだ幼い娘や息子世代まで星を存続させようと、主人公のクーパーが人類の生存策を探すべく宇宙へ。大筋はこんな感じです。あの女優さんがかわいいとか、この俳優さんがカッコイイとかではないのも良くて、アン・ハサウェイもいい意味でパーツになっています。
多摩美術大学に進学すると決まって北海道から上京したのが十八歳で、二十歳ごろ「インターステラー」を見ました。3時間近くありますが、心がぐらっとくるというか、見た後にいい時間の使い方をしたなと感じられる作品でした。
――イラストは何をイメージしましたか。
左のマーフと右のクーパーの間には壁があるんです。全然会えていないけれど、何十年もお互いを想って行動し続けている。クーパーのマスクはモールス信号のような見え方を表現として取り入れています。
――マーフとクーパーはそれぞれ何を思っていますか。
マーフは、どうなってるかわからなけれど、「父はきっと帰ってくる」と信じている。クーパーは、不安もあるけれど何か人類のために解決策を見つけなきゃいけない。
――たしかにクーパーの目元はクッとしていて、少し悩ましいですね。
いわゆる「週間少年ジャンプ」のようなやる気にあふれるキャラは登場しない作品なので、「圧倒的なやる気」みたいものはなく、しっとりと艶っぽさを出せたらと思いました。
――ふだん作品にタイトル付けることはありますか。
ちょいちょいあります。ただ、詳しいタイトルは付けずに見る人に任せられるといいのかなとも思います。今回は「インターステラー」ですね。「マーフとクーパー」とかよりは「インターステラー」のほうが、広義で見る人が色々想像できるかな、と。
――作画の流れを教えてください。
ラフでは黒い線があったと思うんですが、それをなくし、肌は同系色のトーンでまとめて、よく見ると意外と描き込んであるような絵にしました。目元は描き込んで、ほっぺたはフラットに。ピンポイントで立体感を出しました。構造は簡単にしていますが、単純に見えないように工夫しています。
――難しかったのはどこでしょうか。
マーフとクーパー、二人の印象に近づけるのが難しかったですね。特にクーパーの方が難しく、「作中こういう表情が多かったよね」という印象にどれだけ寄せられるかをこだわりました。
マーフは聡明な子ではあるんですが、父と別れたころはまだ幼かったし、強がっていてもお父さんにそばにいてほしい。そういう幼さと強さのバランスをどう描くか。そのあたりを悩みました。
どのシーンを描くかもすごく迷いました。小麦畑に家がある風景とかもいいなあとか。
――迷った末にマーフとクーパーを描いたのはなぜですか。
わたしが描くなら、人に寄っていたほうが魅力的になるかな、と。
――赤さんのテーマは「人物」でしょうか。
はい。人が思っていることや感じてること、生きているうえで生じる悩みを描き出しているところがあると思います。
――確かに、笑っているよりは、みんなどこか物憂げですね。
広告では笑顔を描くこともあるのですが、生活するうえでは何か悩んだりすることの方が多いと思うんです。だから物憂さや、心からハッピーじゃないような人物を描くことが多いですね。楽しい事はあっという間に終わってしまうけれど、それを待つ時間は長い。大多数の人はたぶんこう感じているんじゃないでしょうか。だから、笑顔すぎない、少し真面目な表情を描いています。1週間は7日で、息抜きできるのは休日だけですし。
――平日5:休日2ですね。
その「5」に焦点を当てて描いています。ハッピーな絵というのは世の中にあふれていますが、「こんなにみんなハッピーかな?」と実は幼い頃から思っていたんです。学校とか仕事に行きたくない時もあるし、楽しいことよりも面倒くさいことの方が世の中あふれているんじゃないか、って。そんな考えが制作の根底にはあります。
――幼い頃から絵を描くのが好きでしたか。
そうですね。幼稚園ごろから描いていました。当時から人を描くことが多かったですね。大学に入るまで、絵を習ったことは特になく、単純に図工と美術の授業が好きでした。
――描くうえで大切にしていることを教えてください。
シンプルにしようとは思っています。「インターステラー」はわりと手数が掛かっているのですが。基本的には顔を見てほしい。その他は顔をサポートする場所なので、色ベタに描いて情報量も少なくしています。
今回のイラストでは宇宙らしさを表現するのに、グラデーションを入れましたが、ふだんはグラデーションも入っていないことがほとんどですね。あくまで主役は人間なので、他は描かない。
絵全体で「悲しそうな絵」と伝えたいのに、髪の毛を描き込みすぎたことで「凄いな」と思われてしまっては、もったいないなと思うんです。それは「やっぱアートって凄いんだな」と距離が出来てしまうことと同じなので。ベタで塗っていたら、「自分でも出来そう」とか親近感が湧くかもしれないですし。
――シンプルに描くのはなぜでしょうか。
広告には、スマートフォンで見るちっちゃいモバイル広告もあれば、駅に貼り出されるでっかい広告もあります。どのサイズでも素敵に見えるにはどんな表現がいいのか。考え抜いて、学生時代に辿り着いたのがこの表現でした。
デジタルでも紙でも映える表現かつ、どの企業さんがどんな色を使っても成立する絵。色ベタなので、小さくても大きくても遠くからでも、機能しやすい。たとえば今回のイラストを別の色で塗ることになっても、色によってクオリティーは変わらないと思うんです。どの企業色に染まってもちゃんと機能しそうな表現。その落ちどころがいまの表現でした。
――赤さんの絵からは引き算のようなものを感じます。
実際のところ、引く方が難しいですね。ただ、それが絵に必要なのか。いったん立ち止まって考えます。
美容院の広告だったら髪の毛は細かく描きたいけれど、それがコンタクトの広告なら髪よりも瞳を見せたい。際立たせたいところはぎゅっと描いて、ほかはベタにするというようなコントロール方法もありますね。
――イラストをいくつか見ましたが、「インターステラー」のように似顔絵だと分かるパターンは初めてでした。
以前、朝日新聞出版さんの依頼で「相棒」の表紙を描いたことがありました。資料写真を見ながら、「水谷豊さんと反町隆史さん、お二方に似せよう」と思って描くのですが、これがなかなか似なくて。厳しいと思って担当するシーズンの「相棒」を最初から最後まで見てみたら、「水谷さんはこういうセリフ回しをするんだ。反町さんはこういう性格なのか」と分かり、顔を描きやすくなりました。写真だけで眉毛の形を追うとかよりも、こういう表情をしそうだなと考えた方が似るんですよね。今回のイラストもそうでした。
――赤さんの描く絵は、女性が多いようにも感じます。
魅力的には見えるものは、描きやすくて。若い男性を描くのが一番難しいですね。おじさんたちは比較的描きやすい。何もかっこいいおじさんだけじゃなく、いわゆる普通のサラリーマンのおじさんにも、歴史が詰まっているように感じられるのですよね。新卒で入社し、昇進し、ここまできた。そうやって蓄積されたものに魅力を感じ、描きたくなる。若い男性より歳を重ねた男性の方が、筆が乗るんです。とはいえ、男女それぞれを分け隔てなく描いていきたいなと常日頃から思っています。
――ふだんの絵にモデルはいますか。
モデルはいません。どんな印象の人物を描きたいかをイメージして、そのイメージに合うような容姿を選んで描いていますね。
――映画「インターステラー」は誰におすすめしたい映画でしょうか。
ずっと夢を追いかけている人に見てほしい。家族愛でありつつ、クーパーが夢を諦めきれていなかった。それがこの映画のテーマだと思います。
5:2の話、転じてイヤなモノゴトとの付き合い方
取材のなかで、「平日5:休日2」という話があがり、「5」に着目しているから赤さんの描く人物はああいう表情になるのだなあ、と納得しました。
たしかに「2」の方はくつろげ、旅行にでもいけば脱皮したような感覚になれるし、いまから12月のボーナスを首を長くして待っているわたしも少ないハレ(2)でケ(5)を支えているのかもしれません。
ただ、ここで話を変え、もっと小さな私ごとを見つめ直してみると、日ごろ苦手だと思うモノゴトにまじめに向き合うよりは、少し別の角度で捉えて、遊んでいるところがある気もします。
たとえば、わたしは人混みを歩くのがかなり苦手です。もっと自己主張したほうがいいのかもしれないし、そもそも反射神経があまり良くないのかもしれません。でもそんな時は、頭の中で「スーパーマリオブラザーズ」のテーマソングを流すようにしています。タラッ タッ タラッ タッ!。すると途端にゲーム内に没入したような錯覚が生まれ、目の前の人もただの障害物のようで、ふだん以上に人と触れないように神経を使ってみたり、縫うように人混みをすり抜けてみたり。と遊んでいるうちに改札に着いたりします。
ただ、やはりそう簡単にいかないのが、人間関係だろうなあと思っていた先週半ば、「自分の周りが、好きな人ばっかりだったら、それも気持ち悪くない?」と友人が返してきました。それは単純に確率の話だったのかもしれませんが、なるほど、やさしい集いというのは気持ち悪いのかもしれない、といったん考えてみます。この先、誰とも意見が食い違わず、傷つくことも必要以上に気を遣うこともない。それは望ましいようで、けれど多様性を失っているような……と考えがじんわり広がってくのを感じながら、「うーん」と生返事して、なかなか噛みきれないフランスパンを飲み込みました。
話を本題に戻すと、イヤなモノゴトことに対して、わたし自身はやはり少し面白がっている気がします。自分の頭のなかに「嫌なことポイントカード」なるものがあり、嫌なことが起これば一つ押す。10ポイント貯まったら、おいしいものを食べに行く。こんな遊びをしていると、嫌な相手のイヤな発言が聞きたくなるという境地にも、知らず知らずのうちに至っていたりします。……と、これは極端な例ですが、私ごととして捉えるのがつらいなら、いっそエンタメに昇華してみるというのは、なかなか悪くない気もしています。
(島貫柚子)