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【SP】浜口京子さん ロングインタビュー

 レスリング選手として世界選手権で5度優勝、オリンピックには女子72キロ級で3度の出場を果たし、2度銅メダルを獲得した浜口京子さん。現在はタレントとして、明るくユニークなキャラクターで人気を博し、父のアニマル浜口さんとともに「気合だー!」というフレーズで、見る人を元気にしてきました。

 今回は、京子さんがレスリング時代に守り続けていた信念や、困難への向き合い方などについてお話を聞きました。そこには、様々な壁にぶつかりながらも、決して乗り越えることを諦めなかった彼女の姿がありました。

(聞き手・斉藤梨佳)

 

Profile

浜口京子

 はまぐち・きょうこ 1978年生まれ、東京都出身。レスリングで五輪に3大会連続で出場。アテネと北京で女子72キロ級で銅メダルを獲得。

 

※浜口京子さんは4月3日(金)朝日新聞夕刊「私の描くグッとムービー」に登場。

 

――京子さんがレスリング選手になったきっかけは何だったのでしょうか。

 

 元々水泳をやっていて、小学生の頃は何度か(東京都)台東区の水泳大会にも出させていただいたのですが、一度も表彰台に立ったことはありませんでした。すごい速さで泳ぐ他の選手たちを見て、挫折を味わいました。中学校に入学すると水泳部の練習ではいつも一番遅くて、水の中で泣いていたくらいつらかった。それで辞めてしまいました。

 そこから私の表情が変わってしまったことに、いち早く父のアニマル浜口が気付いてくれて、13歳の時に突然父から「将来の話をしよう」と呼ばれたんです。座布団に座って正面に向かい合い、何時間も2人で話しました。将来何になりたいのかと聞く父に、長い沈黙の後、わたしは「プロレスラーになりたい」と言いました。水泳をやっていた小学生の頃から、プロレスラーになることが私の夢でした。リングで活躍する父の姿にずっと憧れていたから。でも恥ずかしくて言い出せなかった。文集で将来の夢をいったんプロレスラーと書いて、後から真っ黒くペンで塗りつぶしたほどです。その言葉を聞いて父はびっくりしていましたね。無言の時間が続き、一言「大変だぞ」と言われました。そして「明日から練習に来なさい」と。

 

――最初はプロレスラー志望だったのですね。そこからなぜ14歳でレスリングを始めたのですか?

 

 まずは筋トレを始めたのですが、トレーニングすればするほど体のラインが変わってきたり、腕が太くなってきたりして。水泳では頑張ってもなかなかタイムが縮まらなかったから、成果が見えるのが楽しくて。

 14、15歳くらいの頃に、母が世界チャンピオンも在籍しているようなレスリングクラブを調べてきてくれたんです。プロレスラーになりたいなら別の場所でレスリングの基礎を覚えた方が良いと思ったらしくて。母と2人でレスリングクラブを見学させてもらい、みんなが頑張っている姿を見ていたら、自分もやりたいと思ってすぐに始めました。

 

――そこで厳しい練習をしながら、お父さんのジムでも練習をしていたのですね。

 

 当時はまだ浅草・雷門近くのブティックの2階にあった父のジムで練習していました。

 私はレスリングを始めたのがだいぶ遅い方だったと思います。オリンピックで三連覇した吉田沙保里さんは3歳から始めていますしね。だから父は、早く始めた人たちとの差をどう縮めるのかということを常に考えていました。でも私にはパワーがあったんです。子どもの頃から体力測定で懸垂をやっても、最後まで残っていたんですよ。だから父はそこを生かそうと、20キロの鉄のプレートを針金で巻いて、2枚組みの40キロのプレートにして持ち上げるトレーニングを編み出してくれました。それを持って斜めに動かしたり、引きつけたりすることで、レスリングの複雑な動きができるように練習をしました。ヒンズースクワットも300回くらいやってから練習に入っていました。10代半ばあたりは修行のような状態でしたけど、父が一緒に悩み苦しんでくれたから、今の私があると思っています。

 レスリングを始めるのは遅かったけれど、その分誰もやっていないことをして補ってきました。父が編み出してくれたトレーニングもそうです。これだけつらいことをやっているなら、ちょっとは前に進んでいるはず。とことんやるからこそ、不安が和らいでくるんですよね。

 

――スタートが遅かったというコンプレックスを、誰もやっていないことに挑戦して補ってきたのですね。

 

 父は私の練習がうまくいくと機嫌が良くなり、出来が悪いと機嫌が悪くなって、家に帰ってからもよくケンカしていました。でも母はあったかい鍋を用意して待っていてくれて、私の味方をしてくれたり、時に父の味方をしたりして。そうやって1日、1日が過ぎていきました。

 でも父は私の結果が出ない時は大変だったと思います。指導者という立場なので、自分の指導法が間違えているんじゃないかと自問自答していたと思う。父はアマチュアレスリングの経験はないですからね。プロレスラーだったので。

 

 

 
 
 
 

京子さんが15、16歳頃にアメリカの選手と練習試合をした時の様子。場所はフランス。

 

――レスリング未経験で指導者になるのは大変だったでしょうね。

 

 父は練習場の壁や天井にも色々な言葉を書いていました。「自分に勝て」「勝て、勝て、勝て」―。元気が出るという一言では済まされないぐらい支えてもらいました。2004年のアテネオリンピックに出た時は、父の言葉を書き写して、ウォーミングアップが終わったら全部読んでから試合に行きました。そこまで追い込まれていたし、父の言葉を信じないとやっていけなかった。アテネでは日本選手団の旗手もやらせてもらっていたので、プレッシャーも感じていました。

 

――20年以上レスリング選手として活躍するのは大変なことですよね。

 

 オリンピックでメダルを獲ったり、世界選手権でチャンピオンになったりしてからも、根底にあったのは、自分はまだまだという思いでした。自信がなかった。たとえチャンピオンになっても、また次の試合はあるし、頑張らなくてはいけなかったから。

 

――「自信がなかった」という言葉は意外ですね。

 

 私の場合は父がそばで「京子は世界一強い、絶対できる、絶対勝てる!」と言い続けてくれた。それが幸せというか、ラッキーでしたね。あれだけエネルギーがあって純粋な父が、私を応援し続けてくれたことが。エネルギーがすごかったですね。

  

 

2014、15年頃に静岡で行われた試合直前の様子

  

 

現在の京子さんと父・アニマル浜口さん

 

――京子さんはレスリングを続けてきた中で、これだけは守り続けてきたという信念はありますか?

 

 どんなにたくさん練習をしても、マットの上では一人。誰にも頼ることはできない。だからこそ、自分を信じることです。最後は自分を信じる。そして言葉をかける、自分自身に。「私にはできる。やればできる。必ずできる」。それを自分に言い聞かせてからマットに上がっていました。マットに立ったらもう帰る道はない。中心に向かって進みます。前に行くだけ。相手と戦うだけです。

 もう一つは、自分も相手もケガをしない技を使っていました。初戦でケガをしてしまうと、勝ち上がってもその痛みのまま次の試合に臨むことになります。そうするといつも使っている技も使えなくなってしまう。私は2006年の世界選手権で試合中に鼻骨骨折をしています。その経験もあって、よりケガをしない技を使おうと考えるようになりました。

 

――鼻骨骨折は対戦相手の頭突きを受けてのケガでしたよね。目の下も含め4カ所の骨折、全治1カ月と報じられていました。

 

 試合中は脳振盪(のうしんとう)のようなものになっていたらしくて、あまり記憶がないんですよ。でも最後まで戦いました。

 帰国してからすぐに手術をしたのですが、帰りにタクシーに乗ってもブレーキがかかる度に激痛が走る。手にティッシュを握っていたのですが、家に着いた頃には手に力が入りすぎてティッシュがカチカチになっていました。あの時は真っ暗なトンネルにいるようでした。

 

――その後もマットに立ち続け、約2年後の北京五輪でも銅メダルに輝くなど結果を出し続けました。当時、京子さんが対戦相手に対していらだちを口にしていた印象はありません。どのように気持ちに折り合いをつけていたのでしょうか。

 

 ニュース番組などで試合中の出来事をしっかりと報じてくださったことが大きかったです。あとは、相手の頭突きでケガをさせられてしまったことについて、両親が家の中でもすごく怒ってくれて……。だから保てたというか。自分は痛みで精いっぱいだったので、あの時は怒る感情も周りがやってくれたんですよね。あとは、練習もできず家にいた時に、レスラーの友達が遊びに来てくれて。その時はあまり味も分からなかったけど、甘いものを買ってきてくれて、一緒に食べたのがうれしかったな。

 

――大切な人が自分の代わりに怒ってくれたことで、京子さん自身が心から孤独になることがなかったのですね。

 

 でも確信していた気持ちが一つあって。今はレスリングの神様が私に試練を与えていて、これを乗り越えたら、もっともっと強い自分に出会える。それは確信していました。

 

――ケガをした後、レスリングを続けることが怖くならなかったですか?

 

 ならなかった。意外とすぐに克服できました。確かに最初の頃は少しトラウマにはなったけど、それよりも次に待っている試合があるから、休んでいられない。あの時もっと手で防御していればよかったとか、ケガをしてしまったことに対して後悔もなかったです。なっちゃったものはしょうがないから。

 勝ったり負けたりの世界だから、負けて悔しいのも時が経てば忘れるし、色々な感情が薄らいでいきます。今はこうやってお話できていますが、振り返るとケガをした当時は練習で発散できていたものもできなくなって、つらかった。でもその時に、自分にとってレスリングという存在がどのくらい大きいものだったかということが分かったんですよね。

 

――それほどレスリングが大切なものだったということですよね。

 

 大変な状況もあったけど、試合での学びだけではなくて、挑んでいく過程の中で、自分を鍛錬できたから。それが今にも生きていると思うんです。何か壁にぶち当たった時に、これくらいだったらレスリングの時の方が苦しかった気がするとか、あの時に比べたらもっと頑張れるとか。選択肢が自分の中に増えた気がしています。私の場合はそれがレスリングでしたが、どんな道でもそうだと思うんです。

 

――今もレスリングの練習はされているのですか?

 

 今は筋トレをメインでやっています。鍛えることが好きなんです。自分自身と向き合える時間にもなりますし。何かに悩んだり、考えても答えが出なかったりする時は、自分を見失っている時でもあると思います。筋トレは重たい器具を持ちますが、自分の心がそわそわしていると持てない。だから私は多少悩んでいても、自分を鍛えることでなんとか答えが導き出せる気がしています。

 

 

 
 

筋トレをしている京子さん

 

――今はタレントとして多くのバラエティー番組にも出演されていますね。京子さんの姿を見ていると、つい笑顔になってしまいます。現場で意識されていることはありますか?

 

 バラエティーの時は、色々なスタッフさんが思いを込めて企画したり、私たちを招いたりしてくれているので、いつもみんなで作品作りをしていると思っています。だから、共演者やスタッフの方々ととにかく楽しい時間を過ごすことを意識していますね。

 レスリングで培ったスタミナは過酷なロケにも生きていますし、アスリートにお話をうかがう機会もあるので、私に今できることがあればと思って色々な言葉をかけさせていただいています。バラエティーの浜口京子でもあるのですが、やっぱりアスリートとして応援してもらってきた分、今度は自分が誰かを応援する番だと思うんです。

 

 

 
 

 

 

取材後記

 京子さんに取材をしたのは2回目でしたが、一つ一つの質問に誠実に答えてくださる姿が印象的です。取材場所でも、道を歩いていても、京子さんは色々な人に声をかけられます。周囲の方々に愛され、大切に思われているのが、その姿から伝わってきました。  

 今回は、ケガをされた時の心境についても聞きました。ケガをしても、「なっちゃったものはしょうがない。だから後悔はしていない」。その答えに彼女の強さが見えます。本当の強さは、苦しみにあった時にそこからどうはい上がるかなのだと教えてくれます。

 読者の中にも理不尽な目にあって、どうしようもない状況に苦しんでいる方がいるかもしれません。今うまく笑えなくても、また笑えるようになるのかもしれない。いくつもの試練を乗り越えてきた京子さんの姿が、そう信じられる後押しになればうれしいです。

(斉藤梨佳)

 

公式インスタグラム

 https://www.instagram.com/hamaguchi_kyoko_wrestling/

 

▼私の描くグッとムービー(4月3日午後4時配信)

https://www.asahi-mullion.com/column/article/dmovie/6886

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