高校生の頃、神奈川県の逗子駅近くに映画館が数軒あってよく通ったね。同級生の家がラーメン店で映画のポスターが貼ってあって、そこでタダ券がもらえたの。東映のチャンバラ映画、石原裕次郎や小林旭の日活映画とか。
この作品はその頃見たんだけど、妙に印象に残っているんだ。今も心の中にある。
作品はモノクロで、刑事2人が横浜駅から深夜急行に飛び乗って九州へ向かう。強盗殺人事件の容疑者が、かつて愛し合った女性のもとに戻るんじゃないかと見込んだんだ。
列車は静岡、名古屋、広島ーーと進む。蒸し暑い車内の様子を織り交ぜながら、テンポよく撮っている。女性はもう結婚しており、相手は再婚の銀行員。つつましく、平凡に暮らしている。この夫がケチで、本当にいやなやつなんだ。
刑事は向かいにある旅館2階に部屋を取って張り込むが、何も起こらない。淡々と日常が過ぎていく。ところが、ある日、女性が裏口から外出するんだ。山あいの温泉地に行くと、かつて愛した男が現れた。女性の表情は実に生き生きとし、激しい感情をむき出しにする。今の暮らしを捨て、やり直そうと男に迫る。
なぜ、もの静かな女性がこんなに豹変(ひょうへん)するのか。わけが分からなかった。その不思議さが記憶の底に残っているんだな。
80歳を過ぎたいまも、絵が描けなくて泣いてしまうことがある。新しい線を描くにはどうするかとか、いつも「Another road」(新しい世界)を求めている。もしかしたら、この映画は、当時の僕に大人の世界という、「Another road」を示してくれたのかもしれないね。
(聞き手・阿部毅)
|
監督=野村芳太郎
原作=松本清張 脚色=橋本忍 出演=大木実、高峰秀子、田村高廣、宮口精二ほか 音楽=黛(まゆずみ)敏郎
ささめやゆき 1943年生まれ。70年代に欧米で絵を学び、文芸誌「すばる」の表紙を長年手掛ける。版画作品も多数発表。小学館絵画賞、日本絵本賞など受賞。
|