ニッチな分野で活動する方のお話を聞いてみたい。そんな気持ちから「日本で唯一の○○」と探し始めて、写真家の青木豊さんのSNSアカウントにたどりつきました。悪天候を追跡して撮影する日本で一人のストームチェイサー(storm chaser)として活動されています。幼少期は「好きではなかった」写真を20代で始め、40歳のとき、ふとしたきっかけで雷撮影に「どっぷりはまった」。青木さんの写真を見ていると、写真の向こうから轟きが聞こえてくる気がします。(聞き手・島貫柚子)
※青木豊さんは12月7日(木)朝日新聞夕刊「グッとグルメ」に登場しました。
――青木さんは雷や積乱雲などを追跡・撮影する、日本で唯一の「ストームチェイサー」だと聞きました。
あまり表立ってやってる人は知らないんですよね。最近は趣味でやってる人も増えてきたみたいなんですけれども。
――ご実家が写真屋だったとか。幼い頃からカメラマンになりたかったんでしょうか。
まったく逆ですね。家業は継ぎたくなかった。たぶん実家が商売をやっている方って自分の家でやっている商売が嫌いだと思うんですよ。私も実は写真が嫌いだった。中学とか高校生ぐらいのころ修学旅行に行くと、先生から「これフィルム代」って渡されるんですよ。勝手に写真係にされちゃう。うちが写真屋だから。写真を始めたのは20代の前半ぐらいかな。それこそデジタルカメラが登場してからですね。
――ストームチェイサーになった経緯を教えてください。
うちの写真屋を継いでずっとやっていたんですけども、フィルムからデジタルに切り替わる時に経営がだいぶ傾いてしまい、設備投資するよりも辞めちゃった方がいいだろうっていうことでスパッと辞めてしまいました。その後は派遣など職を転々としていました。自分で何かできることはないかなと思った時に、手に職を持ってるとすれば、もう写真だけだった。
ストームチェイサーの道に入ったのはちょっとしたきっかけです。たまたま雷が鳴っていたので家の窓をガラッと開けて撮影をしていたら、これがもう上手い具合にドンピシャで写った。狙って撮れるんだなっていうのがわかって、どっぷりはまっていきましたね。
=きっかけになった(最初の)1枚。2008年7月27日。
(C)Yutaka Aoki
――活動範囲は。
茨城県筑西市から30㎞圏内ですね。雷っていうのは鳴っている時間がだいたい1時間ぐらい。日本の道路事情を考えると、そのぐらいの範囲ぐらいしか回れないんですよ。長距離移動していると途中で終わってしまうので。ある程度的を絞って先回りして待っていることが多いですね。寒気が入ってくる時っていうのはだいたい雷が鳴るので、3日前ぐらいにはこの辺りで雷が鳴るだろうっていう情報を把握しています。
――気象関係の勉強もなさったとか。
元々はね、そういった気象関係って全然興味がなかったんですよ。天気図とか見ても全くわからないような状況でしたし。でも被写体のことを知らないと撮影のしようがない。必要に迫られて覚えました。
――だいたい、雷(被写体)からどのぐらい離れるんでしょうか。
最低3㎞以上は離れます。いつどこに落ちるかって誰にもわからないので、そのぐらい離れないとやっぱり危ない。遠くで雷が鳴ってるなと思っても突然背後に落ちることもある。何度か危ない目にも遭いました。
――メインで活動する時期は。
だいたい4月から9月ですね。暑い時期の方が関東は雷が鳴りやすいので。
――ゲリラ豪雨とか、ああいう時ってシャッターチャンスなんでしょうか。
そうですね。突発的な大雨の時って雷が鳴りやすいんで。積乱雲が出てくると、「よし、行こう」
=北関東で4日連続の突風被害が出た時の1枚。2023年7月10日
(C)Yutaka Aoki
――雷が鳴り始めたら、「急いで家に帰らなきゃ」って思ってしまいます。
(ストームチェーサーは)逆なんですよ。
――「情熱大陸」の取材でアメリカで撮影なさったとか。
向こう(のストームチェイサー)はどっちかというと竜巻がメインなんですよね。突風の写真の方がお金になるからみんなそっちを撮る。将来的には南米とかアフリカとかに行ってみたいですね。あの辺りはかなり雷が多いので。
――雷は連写で撮影するんでしょうか。
スローで見るとよく分かるんですけども、雷って意外と何回も往復してるんですよ。地上と上空を。それを狙って撮ると意外と撮れちゃうもんですよ。
――露光時間は?
夜はだいたい20秒前後ぐらいですね。長時間でやってるんで綺麗に枝分かれして写る。要領は花火と一緒ですね。あまり長くしてしまうと今度は露出オーバーしてまっしろけになってしまう。昼間に関して言えばもう反射神経のみです。
――ワンショットで?
そうですね。光った瞬間にスパっとシャッターを切る。まあ当たり外れはやっぱり大きいですね。
――いい雷写真が撮れた!どんな気分でしょうか。
「やったぞ!」。デジタルカメラってすぐにプレビューを見れるのでその場で確認して「あ、これはいいぞ」って思うんですけど、帰ってきたらブレてることは結構ある。長時間の露光になるとちょっとした風ですぐブレるんですよね。もう本当にドンピシャで取れてる場合には、飛び上がりたいぐらい嬉しい。それこそ年に2、3枚納得できるものが撮れたらいいかな。
=コロナ禍で仕事が減り苦しんでいた時期の1枚。2021年8月30日
(C)Yutaka Aoki
――幼い頃は、働いてばかりのお父さんがあまり好きではなかったとか。
そうですね。自宅で商売やってると定休日って合ってないようなもの。休みの日でもお客さんから電話がかかってきたり、お店が閉まってても、トントンって叩いてお店を開けさせたり。親と一緒にどっか旅行に行ったのは小学校の頃は夏休みだけでしたね。東北方面行くこと多かった。たぶん親父が写真ずっとやっていて、よく東北の方に写真撮りに行ってたからじゃないかな。
――お父さんにご自身が似ていくのを感じたとか。
だんだん似てきたなっていう感じはありますね。うちの父親も多趣味で色んなことができるんだけど、それが収入には繋がらないっていうか、器用貧乏のようなタイプだったし。あとおやじは来福のお酒しか飲まなかったですね。
――来福さんのお酒は昔から家庭にあるものだったんですか。
そうですね。今、筑西市の中で唯一の酒蔵が来福さんなので。元々この辺では、酒といったら来福っていうイメージでした。
――グッとグルメに選ばれたRaifuku MELLOW(メロウ)、お父さまと飲んでみたかったでしょうか。
そうですね。辛口ばかり飲んでいたので、甘口のMELLOW(メロウ)の良さを薦めてみたかったですね。
あおき・ゆたか
写真家。1968年、茨城県筑西市の写真屋の次男に生まれる。同市から半径30キロ圏内の雷や積乱雲などの悪天候を予測し、「ストーム・チェイサー(嵐の追跡者)」として撮影している。「情熱大陸」「クレイジージャーニー」などに出演。