読んでたのしい、当たってうれしい。

現在
63プレゼント

【SP】大西桃香さん AKB48卒業インタビュー

 AKB48の大西桃香さんが2月15日にグループを卒業します。卒業を決めた理由、いまの気持ち、AKBでの思い出、今後についてインタビューしました。(聞き手・桝井政則)

※大西桃香さんは2月15日の朝日新聞夕刊「グッとグルメ」に登場しました。

https://www.asahi-mullion.com/column/article/ggourmet/5939

 

 

­­ ――2月15日に東京・秋葉原のAKB48劇場であるステージでグループを卒業します。卒業を決めた理由を教えてください。

 

 16歳でAKBに入って、いま26歳です。去年9月に26歳になったとき、自分の中で「そっか、もう大人じゃん」と気付きました。AKBで過ごしているといつまでも〝青春まっただ中〟な感じですが、いつの間にか大人になってたなって。

 それと、アイドル活動を始めた年に父を亡くしたので、父が逝って10年経ったんだ、と月日が経つ早さに改めて驚いて。これまでも何度か卒業が頭をよぎることはありましたが、「10年」という区切りの年を迎えて「そろそろかな」と。

  

 

 ――大西さんは2014年、AKBに新たに生まれたチーム8(エイト)の初期メンバーとしてアイドルの一歩を踏み出しました。チーム8は都道府県別にオーディションして47人の〝各県代表〟で構成するチーム。大西さんは奈良県代表でした。それまでのAKBと違った独自色と一体感が強かったチーム8は、全都道府県でコンサートを開くという当初からの目標を達成したあと、昨年4月末に活動を休止しました。そのことも卒業を決断するきっかけですか。

 

 それが案外関係なくて。チーム8の休止が決まったときは精神状態がやばくて母に泣きながら「もうやめる」って愚痴ったりして。でも気持ちが落ち着いたら、9年間もやらせてもらって感謝しなくちゃ、と考え直したんです。チーム8は終わったけれど、「よし!」と気持ちを前向きに切り替えられました。

 その後に忙しい時期が続く中で、体力的なことだったり、精神的なことだったりと自身を見つめ直した結果、そろそろかな、と。

 あと、決め手ではないけれど卒業を決断した訳のひとつは「選抜」です。

 私はここ最近連続でシングル曲を歌う選抜メンバーに選ばれましたが、選抜入りしたことのないメンバーを強く意識するようになっていました。私自身、選抜に入って初めてAKBの自覚が芽生えました。歌番組などテレビに出る機会が増えて、より多くの人に注目される。地元の友達から「頑張っているね」と声が届いたり、反響も大きい。もっと頑張らなきゃ、と意欲がわきました。選抜で意識が変わったし、選抜入りしないと見えてこないことも多い。

 最近加入した若手だけじゃなくベテランにも選抜経験がないメンバーがいます。おこがましいかもしれないけれど、私が席を空ければ、新しい顔ぶれが選抜を経験できる、そんなことを考えてきました。

 

 ――大西さんは、自分のことよりチームやチームメイトを優先するイメージがあります。自身のインタビューなのにほかのメンバーの良さをアピールすることもよくあったようで、私が以前インタビューしたときもそうでした。スタッフやメディア関係者はその姿勢を「あの子は天使」と評価する一方で「芸能界に向いていない」という声も耳にしました。でもそんな姿勢を貫きながら、最近は5作連続でシングル曲の選抜メンバー入りして実績も残しました。すごいな、と思うのですが。

 

 チーム8ってそれまでのAKBとは全然違いました。AKBは「会いに行けるアイドル」だけど、チーム8は「会いに行くアイドル」。一斉オーディションで47人もの新メンバーが一度に誕生し全員同期で一つのチームにまとまるのも異例。なので発足当初こそ注目されたけれど、しばらくして目にするネットの書き込みは批判がほとんど。認められていないと感じていました。仕事もAKB本体とチーム8は別で動くことが多く、スタッフさんもチーム8は別物というとらえ方でした。

 その分、チーム8の絆は深かった。なので、AKBの中で私自身が上を目指すより、チーム8として上にいきたいし、チーム8のメンバーの間で切磋琢磨競い合いたかった。だから、まずはAKBにおけるチーム8の存在を見せつけたい、そんな気持ちが強かったのは確かです。もちろん私はめちゃめちゃ負けず嫌いでチームメイトに負けたくないと思っていましたが、一方で、仲間を尊敬していたし、〝みんなで〟という気持ちは常にありました。

   

 

 ――10年を振り返ってみて、いま何を思いますか。

 

 卒業を発表してから、ファンのみなさんが思い出話をたくさんしてくださるんです。あのときこうだったね、とか、あんなだったのに大人になったね、とか。私の中では薄れてしまっていたこともあって、自分が積み重ねてきたこと、昔の出来事を、自分のことじゃないようなちょっと引いた感じで聞くことが多くて。みなさんと共に過ごした時間を客観的に追体験してみて、本当に長くやってきたんだなって、ファンの目線を通して感じているところです。私の中では、夢だったのかな、ってくらい10年の重みとかないんです。

 

 ――いろんな出来事を経験したと思いますが、大きなことを挙げると。

 

 ひとつはSHOWROOM(個人でできる生配信アプリ)ですね。SHOWROOMがなかったら、私を知ってくれる人がこんなに広がっていないでしょう。毎朝5時半からの生配信でファンと交流していました。いまやれって言われたら無理ですね。

 

 ――いつしか付いた呼び名が「5時半の女」。早朝なのに数千人が起きてスマホの画面を見ていました。スタートから2年ほど、毎朝配信を続けました。

 

 SHOWROOMを始める前の私は、AKBから何人か出演するイベントにほとんど呼ばれないし、テレビなんてもちろん出られない。割り当ててもらえる握手会の枠も少なくて、ファンの方とコミュニケーションを取る機会がなかった。

 でも何か頑張りたいと思っていた矢先、それまではスタッフ立ち会いでしか配信できず、実質的に東京に限られていたSHOWROOMが立ち会いなしでOKとなった。暮らしていた奈良の実家からでもできる!と始めました。朝5時から夜12時までならいつでも配信できるので、ノリで朝一番、5時スタートとしました。しばらくしてファンから「早すぎる」と悲鳴があがり、「それなら」と5時半に落ち着きました。

 みなさん、よく付き合ってくださいました。早起きしてくれた人もいたし、夜勤明けの人もいました。

 先日のイベントでも「5時半配信が終わったとき、めっちゃ泣いたんだ」という方がいて。朝早い仕事で通勤電車で見てくれて「支えだった」と。SHOWROOMのおかげで名前を多く人に知ってもらったし、初めてAKBの選抜メンバーに選ばれ、チーム8独自の曲の選抜にも入れた。早朝だけど嫌だと思ったことはなく、ただただ楽しかった。

   

 

 ――もうひとつ挙げるなら。

 

 2018年の選抜総選挙で38位に初めてランクインしたことです。結局、その回以降、総選挙は開かれていませんが、私はAKBのイベントで総選挙が一番好きでした。CDを買っていただいて投票してもらうので、ファンには負担をかけてしまうし、心苦しい面はあったけれど、私は毎年、総選挙を一年間の活動の総決算ととらえていたし、間近に迫ってメンバーがピリピリしてくる緊張感も好きでした。

 18年6月16日、ナゴヤドームで名前を呼ばれた瞬間のことは鮮明に覚えています。所属チーム名から読み上げられるのですが、発表する声が「チーム8」と告げて「(私に)当てはまってる!」、続けて「チーム4兼任」(当時二つのチームに所属)と告げて「当てはまってる!!」、そして「大西桃香」と呼ばれて「えっ、大西って言った? !!!」。あとはパニック。スピーチでは事前にランクインしたら伝えたいことを決めていたはずですが、何を話したかは覚えていなくて。そのあと、他の方がスピーチしている間、いただいたトロフィーを見ていて選ばれた実感と喜びがわき上がってきました。

 

 ――SHOWROOMの毎朝配信を始めて612日目でした。300人以上のAKBグループの中の38位、チーム8メンバーに限ると2位。総選挙の司会をしていた徳光和夫さんが「この人、大変だもの、涙、涙で」と差し出してくれたハンカチで涙をぬぐい、スピーチで「継続は力なり、早起きは三文の徳、これを身をもって証明したいと思います」と語る姿、毎朝配信の努力が実った結果を、私も現場で見ていて感動しました。

 

 夢のようでしたね。私のAKB人生で「うれしい」の最上級です。

 

 ――総選挙で結果を出し、AKBやチーム8内でのポジションが目に見えて良くなったし、仕事も増えました。しばらくして地元奈良から仕事の度に上京する生活をやめて、東京に引っ越す決断をしました。

 

 母が一人になってしまうし、「上京なんて、してやるもんか」と思っていました。でも総選挙のあと、私のあこがれであり目標でありライバルだったチーム8の人気メンバーが相次いで卒業しました。以前はチーム8単独で数万人も入る「さいたまスーパーアリーナ」でコンサートを開いたことがありましたが、「いまは埋められないよね」というような空気もチームに漂っていて。

 そんなとき秋元康先生からチーム8に「ジタバタ」という曲が届いたんです。タイトル通り、ジタバタしていいから前を向け、という歌詞。卒業していったメンバーが誇れるチームでいたかったし、廃れさせたくなかった。もっと引っ張っていける存在にならなければ、とAKB加入から6年目にして上京することにしました。

   

  

 ――そのあとはAKBの58枚目シングル曲「根も葉もRumor」から最新曲「アイドルなんかじゃなかったら」まで5曲連続で選抜メンバー入りし、テレビをはじめ多くのメディアで活躍しました。ファンも増えて、コロナ後に再開された握手会は会いに来た人の列が途切れることがありません。数多くの舞台に出演したほか、写真集を出し、出版社のサイトでコラムも執筆と、大活躍でした。

 

 AKBはすべての感情の最上級を味わわせてくれた場所。うれしい、楽しい、悲しい、苦しい、つらい、今後これ以上ないだろうという感情を味わいました。その経験があったから、いま、自分が好きな自分でいられている。もう一度人生をやり直してもAKBに入ろうとするし、入らなかった人生を想像するのが怖いくらいです。

 

 ――2月15日の卒業公演の後はどうするのですか。

 

 いったん休憩し、4月3日から芸能活動を再開する予定です。この日はチーム8のお披露目からちょうど10周年にあたるんです。もう少し休む期間がほしい気持ちもありましたが、4月3日という大切な日に11年目を踏み出したかったので。

 芸能活動を続けるか、迷いました。私は芸能界に入りたかったわけではなく、AKBが大好きでもっとAKBを盛り上げたくて、この道に入りました。だからAKBを卒業する以上、芸能界からも身をひくつもりだったし、いまも「俳優になります」とか言い切れない。けれど、ありがたいことに予想以上に「やめないで」という声が多かったんです。お世話になった方々とお話しし、「気持ちは尊重するけれど、もう少し続けてみては」と温かい言葉がつづられた手紙を頂戴したりして、自分のペースでもうしばらく芸能活動を続けることにしました。AKB時代は忙しくて見いだせなかった、めざす次の場所を見つけられるかもしれないので。

 ファンのみなさんからは、引退したら私と会えなくなる以上にファン同士が会う機会がなくなるのが寂しいという声をたくさん聞きました。なので、いつかバーを開いて、ファンのみなさんと飲んで食べてカラオケして、という空間をつくれたら最高なんです。それまで頑張って働きます(笑)。

 

 

おおにし・ももか 2014年にAKB48加入。最新曲「アイドルなんかじゃなかったら」をはじめ最近のシングル曲5曲連続で選抜メンバー入り。お酒に関するコラムをまとめた本「47の素敵な日本酒」(幻冬舎)が2月7日に発売予定。

(記事・画像の無断転載・複製を禁じます。あすべての情報は公開時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)