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山形から東京へ ―癒やしのコブシをたずさえて
歌手羽山みずきさん インタビュー

 「オーディションを受けなかったら、ずっと山形にいたと思います」。そう語るのは、演歌歌手・羽山みずきさん(32)。羽山さんの歌を初めて聞いたのは、偶然テレビで流れ始めた早朝の歌番組でした。新曲「恋春花」を歌う艶のある声と、「山形生まれの癒しのコブシ」というキャッチコピーが印象的な歌手。後日、エンタメ雑誌で特集記事を読み、24歳でデビューしていたことを知りました。デビュー直前まで暮らした故郷・山形への思いと家族の絆、その後の道のりを語っていただきました。(聞き手・田中沙織)

※羽山みずきさんは9月19日の朝日新聞夕刊「グッとグルメ」に登場。

 

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 プロフィール
 1991年生まれ、山形県鶴岡市出身。2015年にレコード会社のオーディションでグランプリを獲得。2016年、「紅花慕情(べにばなぼじょう)」でデビュー。やまがた特命観光・つや姫大使、鶴岡ふるさと観光大使。酒場を舞台にした名曲やバラード曲を収録したカバーアルバム「みずきの愛唱歌 ~山形生まれの癒しのコブシ~」が発売中。

 

ーー高校卒業後は6年間、山形県内の神社に奉職。24歳というのは、今の演歌界では比較的遅咲きのデビューといったところでしょうか。

 だいぶ遅い方だと思います。早い方だと、15,16歳でデビューされますよね。

 私は「ぜったいに山形から出たくない」という気持ちで育ち、地元が大好きでした。山形はお米もお酒もおいしいし、自然も豊かで、ゆったりと時間が流れています。自分のペースに合っていました。周りの友人たちが大学進学で東京に出て行くなか、「私は地元さ残る!」って。

 

ーーどうしてオーディションを受けようと?

 演歌好きな祖母と母の影響で、自然と歌うことが好きになりました。小学校6年生の頃から地元の歌謡サークルに通い、大会にも出場してきました。「歌が好き」という気持ちだけだったのですが、どちらかというと家族の方が「歌手さなるあんがなぁ(歌手になるのかなぁ)」とぼんやり思い描いていたらしく。

 レコード会社のオーディションを受けたのは、23歳の時です。「グランプリを取ってデビューしたい」という欲ではなく、「東京に遊びに行ってみたい」「東京で歌うのは、これが人生で最初で最後かな」という気持ちでした。

 母からは「人間は緊張したときにこそ、表情やしぐさから内面が出る。普段からしっかりなってないとの」と言われて送り出されました。衣装は地元で買ったワンピースで、母がリボンを縫い付けてくれたのを覚えています。愛情が詰まっていましたね。

 

ーー見事グランプリに輝き、デビューが決まります。24歳で地元を離れるというのは、家族にとっても大きな決断ですよね。

 今生の別れのような見送りでした。父が泣く姿を初めて見たと思います。
 引越しを手伝ってくれた両親が東京から鶴岡に帰るとき、改札で私に、必死に「みずき-!」「みずき-!」って名前を呼ぶんです。周囲の人が驚いていました(笑) 私も涙がとまらなくて、そのくらい家族が大好きなんです。友人、奉職先でお世話になった上司や同僚、山形そのものが大好きで、離れるのがつらかったですね。
 あの日を、「涙の改札」って呼んでいます(笑)

 

ーー涙ながらに上京。デビューしてからの日々はどうでしたか?

 もう、毎日がむしゃらでした。東京での生活にもなじめなくて、何もわからなかったです。「自分らしいペースで」というよりかは、目の前のことにとにかく一生懸命で、周りが見えていなかったと思います。お仕事でいろんな場所に行って、おいしいものも食べたはずなんですが、あまり記憶が無いくらいに。
 よほど余裕が無かったのか、アドバイスを受けたとしても「これが精いっぱいなんです!」って。かなり頑固だと言われました(笑) 今思うと、あの時はあれが、いっぱいいっぱいだったんでしょうね。
 今でこそ、好きなたい焼き屋さんを楽しげに巡っていますが、家にこもることが多かったです。

 

ーー他の歌手の皆さんとの交流も特になかったんですか?

 もう交流することすら、怖くて怖くて。「私に話しかけないで」ってオーラが出てしまっていたと思います。常に精いっぱいで余裕も無くて。それに、ホームシックでした。

 

ーーよく、家族が会いに来てくれるそうですね。

 長期休暇がとれたときは、よく父と母が東京に来てくれます。この前は青春18きっぷを使って、10時間くらいかけてやってきました。ふたりで駅弁を食べながら移動する時間が楽しいんですって(笑)
 それこそ、大好きなたい焼き屋さんのたい焼きを買って、うちで一緒に食べます! 夜は、私が暮らす東京の小さな部屋で、3人で川の字になって眠るんです。「暑いねえ」って言いながら。
 いつも応援してくれていて、今回の取材も「嬉しいよのお」って喜んでくれて。

 

ーー素敵ですね。

 家族はもちろん、多くの人に支えてもらって今があります。内向的で殻に閉じこもっていた私を見捨てずにいてくれた。たくさんのサポートのおかげで今があります。みなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ーー演歌歌手として9年目の今年。デビュー当時と比べてどう変わりましたか?

 時が経つにつれて周りが見えるようになり、いただいたアドバイスにも向き合えるようになりました。自分の可能性を広げるためにも、新しいことにどんどんチャレンジしたいという気持ちが高まっています。

 小さなことかもしれませんが、キックボクシングを始めました。何に繫がるかはわかりませんが、演歌界だけではなく、世の中に出て行くためにはいろんなことを知っていた方が良いと思うんです。「自分が好きなものはこれ」と型にはめるのではなく、ちょっとしたことから新しい自分を発見して、人間的にも成長していきたいです。

 

ーー今の目標は何ですか?

 演歌歌手として、しっかりと自分の軸を作っていきたいです。特徴が無いと、なかなか厳しい世界。ただ歌が上手いだけじゃダメなんです。自分のキャラクターと歌を極めて、自分らしさを作っていきたいです。

 

 「羽山みずきのもっけだのチャンネル」
https://www.youtube.com/@hayamamizuki

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