まひや筋力低下を引き起こし、重症化すると呼吸困難にまで陥ってしまうギラン・バレー症候群。俳優の小堀正博さんは、約5カ月にわたる闘病を経て、俳優復帰を果たしました。思うような飲食ができなかった闘病期間中に渇望したのは、子どもの頃からのソウルフード「宮っ子ラーメン」だけではありませんでした。
《グッとグルメ=小堀正博さん 宮っ子ラーメン チャーシューメン》
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2024年の3月、微熱が1週間くらい続いたあと、朝38度の熱がありました。手に力が入らなくなり、スマホも持てないといった状態でした。そのうち、布団から起き上がれなくなり、救急車を呼び、入院することに。症状の進行がはやく、夜には、ナースコールも押せなくなりました。最終的にはICU(集中治療室)に入りました。呼吸が出来なくなってしまい、口には人工呼吸器が取り付けられ、全身に管がつながれていました。体は動かず、まばたきできるのと、首がわずかに動く状態でした。看護師さんが文字盤を持ちながら「あ行」から順に指し示し、うなずくと、縦に「あ・い・う…」といった具合に順にさし示し、またうなずいて、一文字ずつ確認していく形で意思疎通を行いました。

まひがひどくて口も動かせず、嚥下(えんげ)もできないので、鼻から胃に管を通し、そこから栄養をとる状態。口から飲み食いすることはできませんでした。
口は半開きのまま。のどは渇き、口の中はからからになる。それでも水さえ飲むことができないのです。
CMで見るような、コップの外に水滴がついていて、氷がカランと鳴るような、キンキンに冷えたコーラのイメージが、頭から離れなくなりました。
「ただ、それだけ」なのに、それは途方もなく遠かったんです。
最初に許されたのは、水ですらなく、スポンジで唇を湿らせることでした。次に氷を口に含むこと。涙が出ました。
氷を食べて涙が出るなんて思いませんでした。
全身の筋肉が弱り、飲み込む力も失われていました。誤嚥(ごえん)すれば肺炎を起こし、リハビリが振り出しに戻る危険もあります。
前後して飲み込むための練習が始まりました。
さらさらの液体は誤嚥の危険があるから、とろりとした液体を少しずつのどに通すことに。おいしいわけでもない。のどの渇きが癒えるわけでもありません。
「コーラを飲みたい」と家族や医療スタッフに伝え続けました。

入院から1カ月後に人工呼吸器を外すことが出来ました。その頃に、コーラが飲める日がやっと訪れました。家族が来るタイミングで、スタッフの方も見守ってくれて、院内の自販機から小さいペットボトルのコカ・コーラを買ってきてもらいました。
まだ握力がないので、ふたを開けてもらって。コップに氷とコーラをいれてもらいました。コップを持つことも出来ないので、ベッドの所にある台に置いて、ストローで飲みました。
炭酸が体にしみわたって、体中がシュワシュワしている感じっていうか。全身でおいしさと甘さを感じました。願いがかなったうれしさや感動がありました。
退院して2週間くらいたってから初めて食べることが出来ました。
入院中、看護師さんとは「退院したら何を食べたいですか」という話になるんです。焼き肉ですか、おすしですか、ときかれます。見舞いに来る人も、「退院したらうまいもんを……」と言うんですが、やっぱり食べたいのは高級なグルメではなく、マックフライポテトだったんです。
退院後は、リハビリもかねて、外を歩いていました。杖をついて歩いていけるのは、家から15~20分くらいの範囲。そこにあるマクドナルドに行きました。
3日くらい前から「この日に行く」と決めていました。頼んだのは、なにかのセットだったとおもいますが、飲み物はコーラ、ポテトはLサイズに変更。「最高の布陣」です。セットのバーガーが何だったかは忘れちゃいました。
大学生の時、マクドナルドで働いていました。ポテトも作っていて、塩の振り方まで細かくルールが決まっていました。そして「できたてのおいしさ」にもこだわっている。だから、退院後に初めて食べるときも、テイクアウトで持ってきたものではなく、できたてを食べたかった。
席まで持ってくる間に、一本たべようかな、と思うほどでした。軽い塩味と食感。できたての「カリッと感」は、自分にとってはマクドナルドでしか味わえないものですね。ぼくはケチャップもつけない派です。
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一生体が動かないんじゃないかという状況で、食べたくなったものは、たこ焼きでもおにぎりでもない。値段の高い高級料理でもない。それこそ母親の手料理よりも先に思い浮かんだものがコーラとポテトだったことは自分にとって驚きでした。
(聞き手・見沢康)
こぼり・まさひろ 俳優。1988年米国生まれ、兵庫県西宮市育ち。NHK朝ドラなどのドラマや映画に多数出演。俳優業と並行してオンライン家庭教師としても活動。