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漆芸【上】 首里城公園

交易から生まれた琉球漆器

「黒漆葡萄栗鼠(ぶどうりす)螺鈿箔絵料紙箱・硯箱」16世紀
「黒漆葡萄栗鼠(ぶどうりす)螺鈿箔絵料紙箱・硯箱」16世紀
「黒漆葡萄栗鼠(ぶどうりす)螺鈿箔絵料紙箱・硯箱」16世紀 「朱漆巴紋牡丹(ぼたん)沈金透彫(すかしぼり)足付盆」16世紀

 漆芸は、漆の樹液を塗料として用い、金や貝で装飾を施す美術工芸品です。漆の木は、日本から東南アジアまでのモンスーン地帯にのみ生育します。中でも、日本から中国北東部で育つ木の樹液は南方に比べて透明度が高く、固まると硬くなるという特性を持っています。

 日本では縄文時代から使われましたが、高度な装飾技術は、奈良時代に唐から仏教と一緒に入ってきました。現在の漆技術は、金粉などをまく蒔絵(まきえ)以外は、ほとんど中国から伝播(でんぱ)したものです。

 今回紹介する、首里城のある沖縄も、琉球王国時代の15世紀ごろに、明から漆芸の技術がもたらされました。琉球王府は貝摺(かいずり)奉行所を設置し、民間に委託して王家の尚家(しょうけ)が使う漆器や輸出品を制作していました。この「料紙箱・硯(すずり)箱」は、おそらく輸出用。箔絵(はくえ)と螺鈿(らでん)で表したブドウとリスの文様は琉球に多く見られます。葉やツルは箔絵で、地に貝片をちりばめた密度の高い作品です。「足付盆」の上部に描かれた三つ巴(どもえ)は、尚家の家紋。盆の表面を彫って漆を塗り、金箔を押し込む沈金の技法が使われています。

 不思議なことに琉球に漆の木はなく、中国や日本からの輸入です。一方、螺鈿の材料の夜光貝は屋久島以南でしか取れず、琉球から日本や中国へ輸出していました。漆芸品から、当時の経済交流の様子が伝わってきます。

(聞き手・石井久美子)


どんなコレクション?

 首里城は、15世紀から約500年間続いた、琉球王国の政治や外交、文化の中心地。第2次世界大戦で焼失したが、1992年、沖縄の本土復帰20周年を記念して復元され、開館。散逸していた漆器や染織品、陶器など約820件を収集。うち漆器は約260件を所蔵し、展示している。作品は「一般財団法人 沖縄美(ちゅ)ら島財団」が管理している。

 紹介した2点は、4月12日まで開催の「琉球王国のもよう」で見られる。

 《首里城公園》 那覇市首里金城町1の2(TEL098・886・2020)。午前8時半~午後6時(4~6月は7時まで。入館は30分前まで)。820円。7月4、5日休み。

漆芸家 室瀬和美

室瀬和美さん

 むろせ・かずみ 1950年生まれ。重要無形文化財「蒔絵」保持者。東京芸術大大学院修士課程(漆芸専攻)修了。目白漆芸文化財研究所を設立し、文化財保存修復や国宝「梅蒔絵手箱」(三嶋大社蔵)の模造制作などに携わる。著書に「漆の文化」。

(2018年3月20日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)