茨城といえば納豆というイメージをつくったのが水戸の「天狗(てんぐ)納豆」。仙台から職人を呼び、試行錯誤して1889(明治22)年、納豆製造事業を起こした笹沼清左衛門の直系は「天狗納豆總(そう)本家 笹沼五郎商店」として続いている。次男、辰蔵はのれん分けされ、1910(明治43)年に「水戸元祖 天狗納豆」の名で創業した。ともに天狗納豆のブランドを支える。幕末の水戸藩の天狗党に由来して命名された。
創業当時、秋口に那珂川がよく氾濫(はんらん)したため、大豆は早生(わせ)しか育たず小粒だった。だが、1896(明治29)年に上野―水戸間が直通し東京から観光客が訪れるようになると、小粒の納豆が珍しがられ、全国に広まった。
現在、「元祖」の看板商品の「わら納豆」は年間20万~30万本製造しており、売り上げの大半を占める。わらへ大豆を盛り込む作業は手作業だ。4代目の笹沼一弘さん(49)が毎日食べてみて、発酵や熟成の時間を調整する。一弘さんは「これからも伝統を変えずに、残していく努力をしたいです」と話している。
(文・写真 渋谷唯子)
◆水戸市柳町1の13の13(TEL0120・109083)。午前8時半~午後5時20分。1月1日休み。水戸駅。
◆「街の十八番」は今回で終わります。