浪曲師の玉川奈々福と申します。
朝日新聞のWEBRONZAで2019年から22年まで「ななふく浪曲旅日記」と題したコラムを書いておりました。浪曲のお仕事でさまざまなところへ旅する中で感じたことを34回にわたって綴ったのですが、このたび装いを改めて、こちらで再び連載をすることになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。
浪曲って?という方もおられると思います。日本は世界でも大変珍しいほどに伝統芸能の種類があり、中でも「語り芸」「話芸」が多いのです。歌舞伎のように目にも楽しい芸もありますが、耳から聴いて頭の中で物語の世界を想像し味わうという、お客様のイマジネーションの力に頼る芸の数々を、この国の人々はいにしえより慈しんできました。
古くは平家琵琶、中世に入って能楽、近世の義太夫節をはじめとした浄瑠璃の数々。さらに落語、講談、浪曲、この三つは「三大話芸」って言われているらしいです。
この中では落語が一番おなじみかと思います。
落語は高座に座布団を敷いて座って語る、一人の芸。対して浪曲は演台を前に立ち、三味線と一緒にうなったり語ったりする二人芸。音楽つきの語り芸です。
©御堂義乘
浅草は浅草寺のそばに日本に唯一残った浪曲の定席「木馬亭」があり、毎月1日から7日まで寄席が開かれています。5月の番組を上げておきます。
©御堂義乘
こちらが木馬亭。ここに毎月出演しておりますが、そのほか、北海道から九州までお呼びがかかったさまざまなところに赴き、ときには外国に飛んで、物語を語ります。
そんな芸で生きているわたくしの、旅日記、お時間まで。
【福岡・久留米のデイサービス施設で】
先日、福岡県の久留米市にうかがいました。デイサービスを経営するひろみさんが、利用するお年寄りに浪曲を聴いてもらいたい、と呼んでくださいました。
ひろみさんのお連れあいが生まれ育った古民家をデイサービスにそのまま使っている、とっても居心地のよい居間で、浪曲を披露します。
利用者の方々は、八十代以上のおじいさま、おばあさま、20人くらい。
「あのね、奈々福さん、程度の差はあるんだけれど、今日の人たち、ちょっと認知症が入っているから、途中でいろいろ動いたりするかもしれない」とひろみさん。
「大丈夫ですよ~!」
わたくし、伊達に場数を踏んではおりません。大抵のことには対応できます。とはいえ、施設の方々はとても心配らしく、お年寄りの背後に職員さんがずらり並び、お医者さんも看護師さんもスタンバっている、ものものしい雰囲気。
でもまあ何か起きたら止めればいいし、とこちらはのんきに構えて、まずお客様とコミュニケーションをとるところから始めます。
「浪曲を聴いたことあるひと~!」
「……」
反応が、ない。
おかしい、この世代なら絶対聴いているはずなんだが。
「聴いたことないですかね。じゃあ、この名前は知ってるかな。広沢虎造!」
客席、ちょっとざわつく。
おお、反応が来た。
「玉川勝太郎、三門博、天中軒雲月!」
ざわざわが広がる。やっぱり知ってるんだな。
「浪曲はお客様との息と息との掛け合いなので、掛け声をかけていただきたいんですね。浪曲師が出てきたら『待ってました!』と。けれど、もう出てきちゃったので手遅れです」
し~ん。
ふつうはここで笑いのひとつも起きるんですが。
「あはは、『待ってました!』は手遅れですけれど、まだやっていただきたいことがあります。私が今日の演目を言ったら『たっぷり!』と。いい掛け声がかかると、私、いつも出ない声、出して頑張っちゃいます!」
し~ん。
そうこうしているうち、車いすの方の一人が頭を抱えだした。具合が悪いのかなとトークを中断し、「職員さん、ちょっと具合悪そうなんですけれど」。慌てたスタッフの方が車いすに近づいて、その人を見る。
と、「だいじょぶです、これ、この方の癖です」
……、頭を抱えるくせ。いやはや、貧乏ゆすりが止まらない人もいるし、こりゃ、落ち着いて聴いてもらえないかもしれないな。
とりあえず、浪曲に入りました。演目は古典の「仙台の鬼夫婦」。三味線が鳴り、私はうなりだした。そのときです。
……、え?
客席の動きが、ぴたり、と止まりました。貧乏ゆすりの人もじっと動かず聴いています。
主人公の井伊仙三郎は仙台一の放蕩者で賭け事が大好き。妻のお貞からもらった一両をその日のうちにスッてしまった、とうなったそのとき。
「それはいかんな!」
客席のおじいさんが叫んだ!
びっくりした。
そこから、客席のお一人お一人が私の浪曲に呼応するように、生き生きとしゃべりだしたんです。妻のお貞が畳も瓦もはがれた仙三郎のボロ家に驚かずに平然としていると、
「大したもんだ!」。
物語が展開するたびに「それは困るわねえ」「よかったわねえ」。めでたい場面になれば、ぱちぱちと拍手が来る。
ああ、感じてくれている、物語に心を浸してくれている!
ひろみさんによると、15分に一回必ずトイレに立つ人がいて、職員のみなさん、心配していたんですって。すぐそばにスタンバっていたそうですが、おしゃべりと浪曲の1時間。その方、一度も立たなかった。終わってからも、記憶の扉が開いたように、みなさん生き生きとおしゃべりが止まらなかったそう。
すごいな。物語の、力、なのか。
終わったあと、ひろみさんに言われた、いちばん嬉しかった言葉。
「奈々福さん、これは、治療ね。年に2度ほど来てくれますか」
デイサービスのお年寄りからのプレゼント
◆たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。
◆浪曲の世界に飛び込んで今年30年目を迎えた記念の会「奈々福、独演。銀座でうなる、銀座がうなる vol.5」が、6月28日と29日、東京・銀座の観世能楽堂で開かれます。28日は午後6時開演で「亀甲縞の由来」「物くさ太郎」を口演、ゲストはフリーアナウンサーの徳光和夫さん。29日は午後1時開演で「飯岡助五郎の義俠」「研辰の討たれ」を口演、ゲストは歌手・芸人のタブレット純さん。5500円(29日は完売)。問い合わせは、ザ・カンパニー(03・3479・2245)へ。
◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。