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自然と、同期する。

©御堂義乘

 1年に二度くらい、台本を抱えて山籠もりをします。
 本当は、浪曲のことを忘れ去って完全休業にしたいのだけれど、日銭稼ぎの個人事業主にそんな余裕はなく、新作を作らなければならなかったり、覚えものをしなければならなかったりで、結局台本や資料を持たずに行けることは、ない。
 今回も台本と資料を抱えてはいますが、それでも、それ以外は振り捨てる!
 行く場所はほぼ決まっています。あすこか、あすこの二択。
 今回はその二択のうちのひとつ、福島の会津地方。もう何度も来ている、山奥の湖のほとりの宿で2泊3日のお籠りです。

 

 

 この場所が好きな理由は、湖を眺めながら入れる温泉のお湯がいいこと、いいお酒といいお蕎麦があること、そして宿のそばに、大好きな散歩道があること、です。

 まずは、行きつけのお蕎麦屋さんで、郷土料理のにしんの山椒漬けをアテに、地酒。
 とりあえず台本も資料も忘れてゆっくり。こんぐらがった心身をほぐして、宿に着いたら、お湯にの~んびりつかって、お昼寝をして。
 一休みしたら散歩。
 携帯を部屋に置いていく。そして、沼の点在する森に分け入っていく。
 自然と同期する……ことを夢見るのです、わたくしは。

 

 

 京都の大原に音無の滝という滝があります。大原は声明(儀礼などのときに使われる仏典に節をつけた音楽)の修行場だったそうで、平安時代後期、天台宗の僧・良忍(りょうにん)上人という方が、大原に隠棲したときに、この滝の前で声明の修行をされたそうです。
 上人が、滝に向かって声を出す。初めは、滝の音に声がかき消されてしまう。それが、稽古を重ねるに従って、滝の音と声明の声が和し、ついには滝の音も、声も聞こえなくなって無音になってしまったという。それが「音無の滝」の名前の由来だそうですが。
 それって、どういうこと???

 ノイズキャンセリングの理屈、なのではないか、とふと思いました。

 滝の水音の周波数と、真逆の周波数の声を出せば、波と波が相殺して、無音になる。

 もしそうであるなら、身体一つで出す声が、自然の波長に反応して、それと和すことができる、自然と同期できる、ということなのではないか。
 そんなことがありえるのかと、おののく気がしました。

 

 

 浪曲という芸は、もともとは、大道芸でした。
 大道に立ち、なるべく遠くの人にまで届くように腹の底から声を張る。そして道行く人の足を止めさせ、耳を傾けさせる。声のテクニック、語りのテクニックの限りを尽くして物語の中に引きずり込み、情感に訴え、感動させ、懐から財布を出させ、小銭を出して投げてもらう……ことで命をつないできた、先祖たち。
 私たちの原点は、屋外で出す声です。
 外の音を遮断してくれる壁、雨風防いでくれる屋根のない外で、自然の出す音。それはときに雨であったろうし、風であったろうし、烏の声、人々のざわめき、そういうものと戦う声であったと思うのです。
 それを感じ、それと戦い、それと和し……というなかで、その場が無音になる、なんてことが、あっただろうか。
 自然と同期できるような、自分を取り囲む環境すら身体の延長として手繰り寄せられる声のテクニックが、ありうるなら習得したい。

 

 

 そんなことを考えながら、森の中で水音を聴き、風のそよぎを聴き、鳥のさえずりを聴きながら、その中に自分の声も放ってみます。
 私にとって、とても貴重な時間のように思える。
 5月の福島の山奥は、緑が目に沁みるほど鮮やかです。
 水の匂い、土の匂い、むせかえるような緑の匂い。鳥は自由に鳴きわたる。雪解け水はゆたかに沼の底から湧きいでて、奔流となって川に注いでいる。
 そこに、私の声は和していけるだろうか。
 歩く。歩く。沼のほとりを、森の中を。声を出しながら。

 結局、資料も読めず稽古もできず、短い新作をやっとこ書き上げて、短すぎるお休み終了。
 雑踏と壁だらけの世のなかに、戻ります。

 

 ◆たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。

 

 ◆浪曲の世界に飛び込んで今年30年目を迎えた記念の会「奈々福、独演。銀座でうなる、銀座がうなる vol.5」が、6月28日と29日、東京・銀座の観世能楽堂で開かれます。28日は午後6時開演で「亀甲縞の由来」「物くさ太郎」を口演、ゲストはフリーアナウンサーの徳光和夫さん。29日は午後1時開演で「飯岡助五郎の義俠」「研辰の討たれ」を口演、ゲストは歌手・芸人のタブレット純さん。5500円(29日は完売)。問い合わせは、ザ・カンパニー(03・3479・2245)へ。

 

 ◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。