3日間、夏休みをいただきました。
旅をしたい。岐阜県の郡上(ぐじょう)へ行って参りました。
奈々福は千葉県の東庄町の観光大使を務めております。その東庄町からのご依頼で今年、「東氏物語」という新作浪曲をつくり、東庄町で披露しました。
「東氏」とは鎌倉時代、源頼朝の幕府樹立に尽力した東胤頼(とうのたねより)を祖とする武士の一族で、東庄町を領地としていました。その東氏は承久の乱(後鳥羽上皇による鎌倉幕府に対する政変)における功績で美濃国山田庄(いまの郡上市)を賜って移住し、郡上東氏の歴史は戦国時代まで続きます。
そして東氏は代々、歌道に通じた家であり、九代当主の常縁(つねより)は、連歌の名人、飯尾宗祇(いいお・そうぎ)に「古今伝授」(「古今和歌集」についての考えを秘伝すること)をした人物なのです。
東国武士が和歌に通じている? イメージが結びついていなかったのだけれど、勉強して驚きました。当時、武家の良家の子弟は、まず都に上って朝廷に仕え、ひととおりの文化の洗礼を受けていたのですね。
その一族の物語を浪曲化するため、昨年の秋、郡上大和を取材したのです。
*コラム末尾に取材の記録動画のリンク
そのときに、東氏一族が東庄から勧請した明建神社の例大祭が毎年8月7日にあり、奉納される神楽が中世の芸能「田楽」の要素を色濃く残している!!!と聞いたのです。
東庄から移され、受け継がれている神楽!?
田楽の要素を色濃く残す!?
こりゃぜひとも見たいと、赴いたわけでした。
郡上八幡よりちょっと北の郡上大和に「古今伝授の里フィールドミュージアム」(https://www.kokindenju.com/concept.html)があります。東氏の居城だった篠脇城跡を中心とした歴史遺産群を含む「地域一帯」が、ミュージアムになっているというすごい施設です。
フィールドミュージアムの池に映る篠脇山。山頂に東氏の城がありました。
「奈々福さん、七日祭(なぬかびまつり)をご覧になるなら、前日に連歌の会があるので、参加しませんか」。ミュージアムの学芸員のMさんにお声がけいただき、初日は初の連歌に挑戦しました。
東氏は、古今和歌集の教えを受け継ぐ家として有名でした。その流れがこの地にいまも受け継がれ、郡上大和にも、郡上八幡にも、歌を詠む文化が脈々と生きています。タウン誌にも地域の方々の和歌が載っています。
なので、お祭りの前日に連歌を巻いて明建神社に奉納するというのです。
連歌!?
全然わからないながら、こりゃやってみたいな、と参加しました。
宗匠の一希先生に教えていただきながら、次の句のテーマ、季節に沿って、五七五、その次は七七、とつないでいく。何人もが提出する句の中から宗匠が一句選びます。
いろいろ決まり事があって難しい。それと、やまとことばをたくさん知っていないとつくれない。でも、すごく面白い。頭の体操になります。ルールもわからないし、イメージもわかないし……。初心者がカラ雑巾をしぼるように言葉をしぼりだし、なんと、奈々福も一句、採っていただきました。東氏の居城「篠脇山」の「しのわき」を詠み込んで。
「しのびあるくは わき水の里」
そう、郡上はわき水がそこここに湧く、水の豊かな地域でもあるのです。
翌日。いよいよ七日祭。
明建神社は、古今伝授の里フィールドミュージアムのメインの施設に隣接していて、その拝殿で、神事が行われています。
古くからの形をそのまま受け継ぎ、祭礼に奉仕する方々は一週間前から潔斎し、当日は水浴して心身清浄にして集合するそうです。
神饌(しんせん)を供え、捧げます。神饌は、お米、お酒、野菜、魚、あといろいろ。捧げたあと撤去し、神様を御神輿に移します。
拝殿にかじりついて、神事を見ました。
奉仕者が侍烏帽子(さむらいえぼし)をかぶっているのは、武士である東氏の流れを汲むお祭りだからなのなかあ、とか。麻の衣がやわらかくて、気持ちよさそうだなあ、とか。
御神輿が渡御します。拍子音頭取りという人が「カミノミウケンナル、タケノハヤシボンボ」と唱え、笹を持つ子どもたちが「サーンヨシボーボ」と唱和します。
先導のあと、宮司、禰宜(ねぎ)と続き、神輿。その後ろに杵振りと猿田彦、そして獅子、笹の葉を持った子どもたちが列をなします。
獅子と猿田彦
拝殿を三周まわったあと、境内をくだり、大鳥居の前の桜並木を渡御していく。この桜並木の道は昔、馬場だったそうです。見物人たちもその横やら後ろやらをついていく。
桜並木が終わるところに「神帰り杉」という大きな杉の木があり、そこで引き返すのですが、突然、獅子が暴れ始めます。笹を食べようと猛り狂って口を大きく開き、カン!カン!と強く歯をかみ合わせます。逃げる子どもたち、大泣き、阿鼻叫喚!
でも、獅子に入っているのはけっこう年配のおじさんたちなので、疲れて、中で「もうちょっといけるか?」「いや、交代して」とか、会話が聞こえたりして、おかしい。
境内に戻ると参道にむしろが敷き詰めてあり、そこで「野祭り」という神楽が行われます。
神楽の前に、どぶろくがふるまわれる。なんと、観客にまでふるまわれました。土地の米と水で醸したどぶろく、すんごくおいしかったよ~~~!
神前の舞と、杵振りの舞。
杵を持ち、頬かむりをした男が舞うのですが、このびょこびょことした動き。これ、反閇(へんばい)だ。邪気を払い除き、地を鎮めるために大地を踏みしめる呪法。相撲の四股にも通じています。
獅子起こしの舞。
こんな素敵なお祭りだけれど、あまり知られていない、ここはまだ観光地化されていないんですね。本当に土地の人たちだけのお祭りで、特等席を陣取って見られました。
神楽を見て、老若男女みんな、けらけら笑ったり、子どもたちが獅子に「起きろ~」と掛け声かけたり、猿田彦に「頑張れ~」と言ったり。
しゅんしゅんしゅんしゅん……、蝉しぐれの下、いま、いつの時代なんだろう。ここはどこなんだろう。夢みたいな光景です。
お祭りが終わったら、夜の薪能までの間は、出店で天然鮎を買ってかぶりつき、土地の米で醸した純米酒を呑む。地元の朴葉寿司、食べる。
涼やかな日本酒。もう一杯飲んじゃおうかな、いいよね、夏休みだもん。
ああ、幸せ。こんな時間は久しぶりだ。
古今伝授の里フィールドミュージアム敷地内には、東氏の資料や、遺物を展示した博物館があり、和歌の歴史をたどった文学館もあり、時間が足りません。
陽が傾いてきました。ひぐらしが鳴き始めた。
田んぼの上には、赤とんぼが舞ってます。
夕刻からは、拝殿で薪能が行われます。
連歌師、飯尾宗祇に古今伝授をした郡上東氏九代目常縁がシテの「くるす桜」という新作能。毎年、七日祭に上演されているそうです。
東氏の九曜紋の幔幕が張られ、境内にパイプ椅子が並べられます。そして、かがり火が焚かれる。
去年から今年にかけて、新作づくりのために勉強した東氏の歴史。戦国時代、篠脇城が齋藤妙椿という武将に奪われたとき、東常縁はそのくやしさ、悲しさを十首の歌に詠み、妙椿に送った。その歌に感じ入った妙椿は奪った篠脇城を常縁に返還したのです。なんという歌の力。文化の力。
その常縁がシテとして登場し、東氏の歴史を語り、歌の所縁を語りました。
薪能がおわって、すっかり暮れた夜の明建神社。
見上げると、東京では到底見られない、満天の星でした。
宿をとっている郡上八幡に戻りました。この時期は郡上踊りです。7月から9月の初めまで。夜遅くまで、人々は、櫓を囲んで踊る。
本町通には、ものすごい数の人が三重の輪になって、踊っていました。櫓の上で生演奏される郡上節。笛、太鼓、三味線、歌。それに合わせて、輪の中に加わって、見よう見まね、手を、足を動かす。ざ、ざ、と無数の下駄の音がそろって、夜の闇に響く。
夢のような夏休み。
すっかり郡上に惚れました。
いつか郡上で「東氏物語」の浪曲をやらせていただきたいと思っています。
◆たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。
◆玉川奈々福独演会「ななふく旅浪曲日記」をうなる、を8月24日(土)午後2時(開場は午後1時半)から朝日新聞東京本社読者ホール(東京都中央区築地5-3-2)で開きます。奈々福さんが「浪曲・平成狸合戦ぽんぽこ」「シン・忠臣蔵」の二題を語ります。曲師は広沢美舟さんです。料金は予約3000円、当日3500円。予約はメール(apkikaku@asahi.com)へ。名前、人数、電話番号を明記してください。
◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。
【昨年の秋に郡上大和を取材したときの記録動画】