読んでたのしい、当たってうれしい。

現在
55プレゼント

大衆演劇との奇縁で実現した「節劇(ふしげき)」

「大衆演劇」って、ご存じでしょうか。
たとえば東京なら、浅草寺脇の奥山おまいりまち商店街にある木馬亭の二階の「木馬館」、十条にある「篠原演芸場」など専門の劇場で上演されている、そして劇団が毎月入れ替わり、その劇場にかかっているひと月、ほぼ毎日演目を替えて芝居と舞踊を上演する、旅芝居のことです。
二十代の後半、私は出版社で編集の仕事をしながら、プライベートの時間をほぼ大衆演劇に捧げておりました。

 

 木馬館


大好きな座長さんが今日どんな芝居をするのか、舞踊でどんな芸を繰り出すのか、いてもたってもいられない。メディアには出ないけれど、こちらの心をぐわしっとつかんで離さないような、すごい芸を持つ役者さんがいっぱいいるもんだから、仕事なんかしてられない。会社が終わるとた~っと劇場に駆け付け、毎日のようにお芝居に身も心も浸りきっていた時期がありました。

 

大衆演劇の劇場の客席壁には役者さんたちのタペストリーがたくさん


その頃、親しくしていた劇団が、劇団花車(はなぐるま)。姫京之助座長の劇団でした。
長谷川一夫似の端正な顔立ち。大衆演劇としてはとても上品な芸風。奥さんも舞台にあがり、3人の個性豊かな息子さんたちが小さい頃から立派に活躍していました。
なかでも、座長の長男の姫錦之助さん。当時十歳くらい。大衆演劇好き仲間、劇作家の岩松了さんが「あの子、天才でしょ!」とほれ込む舞踊のうまさ、美しさでした。

 

 十代前半頃の姫錦之助座長@神戸・新開地劇場


あれから30年以上。私は浪曲師になり、大衆演劇からしばらく離れていました。
一昨年の暮れ。錦之助さんが、父の京之助さん劇団から独立し、ご自身の劇団を立ち上げることを風のうわさに聞きました。そんなとき、錦之助さんの公演を手伝っている方から、メールをいただきました。

************************************
玉川奈々福様
初めてメールをさせていただきご無礼申し上げます。
姫錦之助座長の公演のお手伝いをさせていただいております〇〇と申します。
この度ご縁をいただきまして、錦之助座長の新しい劇団夢道が、東京に新しくできました歌舞伎町劇場に1カ月間お世話になることになりました。
この良き機会に、玉川奈々福様との共演が実現できたらと、錦之助座長が願っておられます。
錦之助座長は奈々福様と、「節劇」をしたいと考えておられます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
************************************

びっくりした。
私が錦之助さんを最初に見たのは、たぶん彼が9歳くらいの時で20歳くらいまで見ている。いま43歳になったその人から突然共演のオファーが来たのです。

2024年4月、東京は歌舞伎町にできた大衆演劇専門劇場の歌舞伎町劇場。まずは錦之助さんの公演を見に行き、ごあいさつしました。
久しぶりに会う姫錦之助さん。

 

 錦之助座長。カッコいい

いまや4人のお子さんのいるお父さん。座長として劇団を旗揚げし、すばらしく立派になられた。
でも、恥ずかしそうに話す声、表情、小さい頃から変わっていない。
こんなことがありうるんだと驚きました。
「びっくりしたんや。ぼくの知ってる奈々福さんは、出版社の仕事をしてる人やったでしょ。それがSNS見てたら、似てる人がおるな、と思って。まさか浪曲師になってたなんて!」
そうでしょうね。私が劇団花車を頻繁に追いかけていたのは浪曲に足を踏み入れて間もない頃で、出版社と二足のわらじだった。
錦之助座長は「節劇」をやりたいとおっしゃる。
節劇は大衆演劇と浪曲が合わさったもので、人形浄瑠璃の人形を人が演じ、義太夫を浪曲が担う形、と言ったらわかりやすいでしょうか。
上手側に浪曲の演台をしつらえ、筋やせりふといった物語は浪曲が語る。語りに合わせて役者は動きをつける。
役者は自分でせりふを言わない分、所作や表情が派手になり、また浪曲も単独で演じるより表現が粘っこくなる。昭和30年代くらいまで大変にはやったものだそうです。
私も節劇に興味があり、いつか大衆演劇の劇団とできないかと思っていたところに錦之助座長からのお申し出! もちろん、一も二もなくお受けしました。
場所は歌舞伎町劇場。演目は「清水次郎長伝 石松金毘羅代参~石松の最期」としました。

 

 節劇「清水次郎長伝 石松金比羅代参」


稽古は前日の夜公演のあとに通し稽古を一回きり。
迎えた本番。浪曲の舞台とはいろいろ勝手が違って戸惑うこともたくさんあったけれど、役者さんと一緒に作り上げる節劇は、単独の浪曲とは全然違う面白さで、私は新鮮な感動を覚えました。

節劇を終え、舞台上に出演者が並んでごあいさつ。そのとき、私が持っていた小さい頃の錦之助さんの写真がホリゾントのLEDスクリーンに映し出されました。
「奈々福さんは、僕の小さい頃からお芝居を見てくれていた人なんです。その人と一緒にできるなんて本当に不思議」 本当に不思議よね、錦之助座長!

 

 お芝居のあと、記念撮影


「節劇」はお客さんの評判もよく、また演じる私たちも面白かったので、錦之助座長からすぐに再演のオファーが来ました。9月に大阪の朝日劇場で、11月には熊本の片岡演劇道場に遠征し、同じ演目を上演しました。
そして座長から再オファー。2025年1月、大衆演劇界の歌舞伎座と言われる神戸新開地劇場での公演。やはり「節劇」をやりたい、ついては違う演目をやりたいという。
「忠治山形屋」。次郎長伝よりも登場人物が多く段取りも動きも複雑、道具立ても色々ある芝居です。
台本を送りました。しばらく経って座長から「登場人物を教えてください」というメッセージ。台本を送ったけれど、多忙極まりない座長は目を通す暇もないのであろう。
そのうえ、たぶん稽古は前日の夜公演を終えて、夜中の稽古で一回通すだけ、であろう。
ほんとにできるのかな、といささか不安に思いつつ、神戸入り。今月8日、神戸新開地劇場。まずは17:30開演の夜公演を拝見しました。
今月の公演は、錦之助座長の弟で劇団あやめを率いる姫猿之助座長の一座との合同公演。芸達者な弟さんとの息のあった芝居と舞踊を思いきり楽しんだあと、稽古です。
いきなり通し稽古。錦之助座長がその場でぽんぽんぽんと配役を決め、劇団員さんに指示していきます。上手側に浪曲の演台をしつらえ、私はとにかく一席演じます。曲師は、今回の節劇シリーズを最初から務める広沢美舟。
悪役である山形屋藤蔵を演じる猿之助座長は、私の啖呵(たんか)に合わせてすでに体を動かしている。主役の国定忠治の錦之助座長は、じっと耳を傾けてイメージを練っている。
猿之助座長に至っては、私の啖呵を聞きながら他の役者さんにあれこれと演技の指示まで出している。
そうして一席演じたら、「わかりました、明日よろしくお願いいたします!」。お稽古は以上。えええええ!
翌日は昼夜公演です。いざ本番。

 

 節劇「忠治山形屋」


私は役者さんの動きを息を詰めるようにして見つめ、間合いをはかり、せりふや節を繰り出す。錦之助座長の見得(みえ)とこっちの啖呵がぴたりと合えば、すごいカッコイイ。
で、猿之助座長。思わぬことをしてくるのはこの人。こちらの啖呵にない動きをしてくる。こっちも芸人、役者さんが動き始めればアドリブごころが動いてしまい、仕返しとばかりについつい、猿之助さんを啖呵でいじってしまう。
それに即応する猿之助さんは、さらにせりふにない動きを入れていじってくる。こっちも対応する。そのいずれにも即興で三味線をつける美舟。
その場限りの「忠治山形屋」。即興性が高いがゆえに、昼公演と夜公演では相当色合いが違うものになったかと思いますが、それにしても役者さんの驚異的な記憶力と芸の筋力に驚嘆。おそれ入りました。
面白かった!
国定忠治として美しく見得を切る錦之助座長、出オチかと思うほどに派手なこしらえで山形屋を演じる猿之助座長を見ながら、人生の不思議をつくづくと思い、こんな面白いことをさせてもらえた奇跡に感謝しました。

 

 お芝居のあとの撮影タイム


「奈々福さん、今度は、〇〇〇〇をやりたいんや」
芝居がおわるやいなや、錦之助座長から次の申し出があったことを、申し添えます。

 

たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。

◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。