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ハンセン病の療養施設「栗生楽泉園」へ

2025年7月3日午前10時。曲師の広沢美舟さんと降り立ったのは、北陸新幹線の軽井沢駅。さすが高原で、灼熱の東京よりいくぶん涼しいです。お迎えの車で、草津に向かいます。行きたいと願っていた場所に、行ける日です。

浪曲で、いろいろなところに行かせていただきます。寄席、ホールでの演芸会、地方公演、自主公演といったレギュラーの仕事のほかに、できるだけ子どもたちのもとに行きたいと常々願っています。

学校や子ども劇場。子どもたちの前で浪曲をやるときは、たいていワークショップ(WS)を織り交ぜます。実演を聞いてもらったうえで声を出してもらう。子どもは一番怖いお客さま。その反応に耳をすまし、ものすごく神経を使うけれど、声を出してもらって語る稽古をし、時間をかけてWSを進めていくと、彼らの心身が開いていく。その様を見られるのは、たまらない喜びです。

また、お年寄りのいらっしゃるところ、病院などにも機会があればと常々思っています。浪曲公演の会場まで足を運んでもらうのが難しい方々に、こちらから赴いて楽しんでいただけたら、嬉しい。ただ、元気なお客さまとは違うので、ここでも、どんなふうに演じたらいいか、神経を使います。

ハンセン病の療養施設に行けたらいいね、と、私の三味線を弾いてくれている広沢美舟さんと以前から話していました。

 

 

私は、盟友である作家の姜信子さんが編集した、「死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二(こだまゆうじ)詩文集」を読んで強く感銘を受けていたので、谺さんが暮らした群馬・草津の栗生楽泉園には、特に思いがあった。それがなんと不思議なご縁をいただき(朝日新聞厚生文化事業団さん、ありがとうございます)、そこに行けることになったのです。

どんな風に受け入れてくださるか……ちょっと緊張しました。でも、機会をいただいたのだから、精一杯浪曲をやって、楽しんでもらえるように努めよう。

開演は14時。12時には現地に着きたい。栗生楽泉園は、草津温泉から車でさらに入ったところにあり、東京から赴くのに一番早く着く方法は、軽井沢まで新幹線、そこから車で行くのがよさそうなのでした。

軽井沢が東京より涼しいのは、高度のせいもあるでしょうが、緑の豊かさのおかげでもありましょう。緑萌えさかる季節。別荘街から森の中へ。車は北へ、北へ、霧にけむった浅間山を左に眺めつつ走ります。

1時間ほどで栗生楽泉園に到着。広い敷地のなかの、中央会館が会場です。

車から降りて、会館に向かいながら、やはり、緊張しました。

ここは医療機関であると同時に、入所する方々の生活の場。そして、ハンセン病と政府の政策、世間がこの病気をどう扱ってきたのか、長く苦しい歴史の跡を色濃く残す場所でもあります。谺さんは、詩人であると同時に、ハンセン病国家賠償訴訟の全国原告団協議会の会長でした。

この日は「七夕のゆうべ」。小さめの体育館のような会場は、たくさんの短冊がつるされた笹飾りや、紙花などで華やか。職員の方々から「みなさん、浪曲を楽しみにしていますよ」とうかがいました。「レコードで聞いたよ」「ラジオで聞いていたよ」と口々におっしゃっていたとか。

 

 

入所する方々のうち、一番若いのが81歳の自治会長Kさん。ということは、世代的には浪曲はドンピシャでありましょう。控室には、演歌歌手の方々の色紙が飾られていました。浪曲は……いままでに来ていないとのこと。演歌も、大物歌手の方々の色紙が数々あったけれど、ちょっと色あせ、最近のものではなかった。

開演が近づくと、続々と入所者の方々が集まって来られました。

寝たきりの方もいれば、一見なんの障害もなさそうな方もおられて、ばらばらです。園長さんのご挨拶のあと、栗生楽泉園の園歌をみんなで歌い、それから入所者の方々と職員の方々によるハーモニカとギターの合奏が始まりました。

ハーモニカを吹くのはNさん101歳。そのお隣の奏者は自治会長のKさん81歳。手拍子をしたり、一緒に歌ったりしながら楽しむ入所者の方々、それを囲む職員の方々。

 

 

そしていよいよ、浪曲です。

ご挨拶をどう言うか、とても悩みました。ここに来たかったのだけれど、その言い方が難しい。そもそも、なぜ自分がこの場に来たいと願っていたのか、明確に言語化できない。とはいえ素直に、谺雄二さんの文章に感銘を受けたことから、ここに来られたらいいなと思っていたことを、お話ししました。

 

 

この世代の方々なら全盛期の浪曲をご存じのはず。うちの師匠はよくやっていたけれど、いま私はほとんどやる機会がない「節真似クイズ」をやりました。

「では、このフシは誰でしょう。〽旅行けば~ 駿河の道に茶の香り……」

「虎造!」

「当たり! では次です。〽佐渡へ佐渡へと草木もなびく~」

「米若!」

やはりご存じの方がいらっしゃる。力を得て、古典浪曲「仙台の鬼夫婦」を一席。

そのとき、突然の豪雨。中央会館の屋根や窓を激しく雨がたたく音。マイクなしの会場で、すごい雨音に声がかき消されそうです。まるで、突然の訪問を叱るような雨じゃないかと思いつつ、いやいや、負けないぞと声を張る。

ご高齢の方々に物語を楽しんでいただけるように、ゆっくりと、明瞭に、声を張り……ああ、皆さん物語に入ってくださっている。若い職員の方々も、笑ったり、拍手してくださったりしている。私たちは演じるとき、客席を暗くしません。お客様お一人おひとりのお顔を見るため、明るくしておく。反応を見ながら話を進めていく。どんなふうに受け止めてもらえるかと心配した客席。とても温かく、やわらかく、笑いも拍手もあって、ほっとしました。

 

 

お見送り。お一人おひとりと握手。つめたい手。あたたかい手。

「楽しかったよ!」「最高だったよ」と言いながら、「こんな曲がった手だけどね」と、おずおずと手を出してくださる。ただ、その手を包む。

着替えたあと、納骨堂にお参りさせていただきました。

 

 

名前も、故郷も、家族縁者も失われたまま亡くなった多くの方々が、この納骨堂におられます。堕胎させられ、この世に生を受けられなかった子も、います。谺さんもここにおられます。それがどういう悲しみであるのか……ただ、頭を下げるしかない。安らかにと祈るしかない。谺さん、なぜと言われても困るけれど、ここに来たかった、お詣りしたかったのですよ。

浪曲が終わったら、雨が上がりました。草津白根山の姿は拝めなかったけれど、軽井沢までの帰り道に、名勝・白糸の滝に寄らせてもらいました。

 

 

したたり落ちるしずくを掌に受け止め、池の水に手をひたし。

しばしぼうっと、瀧の水音に身を委ねました。

 

たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。

7月19日と20日、東京・銀座の観世能楽堂で独演会を開催。

 

◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。