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大阪の夜空に豊子師匠の花火

曲師の沢村豊子師匠が、6月18日午後3時56分、旅立たれました。享年88。90歳までは弾いてね、とお願いしていたのですが、かないませんでした。

――生きてりゃ弾くけどアンタ、九十のアタシの面倒見るの大変だよ

2003年2月から足掛け23年弾いていただきました。育てていただいた方であり、芸の上での伴侶であり、理屈を超えて愛しい師匠でした。 

――ななちゃん、死ぬまでのおつきあいだよ

はい、最後までおつきあいしましたよ。でも、死なれちゃったら、お師匠さん、私どうしたらいいの。

 

 

ひと月過ぎた7月25日、私は大阪にいました。前日にお仕事があり、その日は泊まって、翌25日は天神祭。天神祭の船渡御奉拝船に初めて乗せていただく機会を得ました。

大阪天満宮は言わずと知れた天神様(菅原道真公)を祀ったお社。天神祭は日本三大祭りの一つに数えられ、年に一度、ご祭神は御神輿に乗って、市中見回りをなさるのです。陸渡御、そして、船渡御。その有様を、水上から拝ませていただくのです。

 

 

お声がけくださったのは、歴史学者で大阪天満宮文化研究所所長の高島幸次先生。何度も誘っていただきながら、日程が合わず無念の涙だったのですが、今年は運よく参加できました。

高島先生のご縁で船に乗った方々はすごい面々。小説家、大学教授、仏教関係者、マスコミ関係者、有名フレンチのシェフ等々。お弁当は有名フレンチのシェフが全員分ご用意くださいました。暮れ行く空を眺め、超絶美味しいお弁当を食べ、飲める人はお酒を飲みながら、船は船着き場を離れてゆっくり、淀川を下ります。

途中、文楽船や能船など、いろいろな船と行き会います。文楽船では三番叟をやっている。いいなあ、あっちの船にも乗りたい。

 

 

船と船とが行きかうときに、互いのご挨拶として大阪締め(おおさかじめ)をかわします。

「打―ちましょ」 パンパン(二度、手を打つ)

「もひとつせ〜」 パンパン

「祝(いお)うて三度」 パパンがパン!

 

 

親しみがあって、いいな。

天神様の御神輿を載せた船と行き交います。そのときは声を発してはいけない。天神様に黙礼をします。

河岸で奉納花火が上がります。この一年の間に亡くなった方々への鎮魂を込めて、多くの方が協賛金を出し、花火を打ち上げてもらうのだそうです。

 

 

両岸から次々と花火が上がります。打ち上げ場所のすぐ近くを船が通る。ものすごい迫力、花火の火の粉が降ってくるようです。なんと花火を眺めるため、JRの大阪環状線の車両が橋の上でしばし止まったりしてる。びっくり。

 

 

高島先生が、「これ、奈々福さんに」と小さな紙袋をくださいました。

入っていたのが、これ。

 

 

「豊子師匠のお葬式行けなかったからな。奉納花火、1発協賛しときました。これはレプリカやけど、この大きさのが上がったんやで」

……えええ? 奉納花火、高島先生が豊子師匠のために。

「奈々福さん、見えたでしょ? 豊子師匠の花火、な?」

まったく大阪の人は(笑)。はい、見えましたよ。ひときわ金色に光って上がった、あの一発ですよね?

高島先生、「そうそう」とにっこり。

お師匠さんが亡くなったあと、多くの方にメッセージをいただき、また、ご霊前にと、いろいろなお供物をいただきました。でも、こんな洒落たお供物には驚きました。

はい、見えましたよ、と言ったとき、私はちょっと泣きそうだったと思います。

こんなお心の寄せてくださり方があったなんて。

思いやり、という言葉をあまり聞かなくなって久しいですが、思いを遣わす、思い遣り、それがお師匠さんを失って胸に空いた穴に染みわたりました。

一晩に3000発上がる中の1発。豊子師匠への奉納花火。

お師匠さん、見えたかな。

――ななちゃ~ん、見えたよ~~~

声が聞こえた気がしました。

そして天神様は多くの氏子さんたちに担がれながら、無事に天満宮にお戻りになりました。

 

 

たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。

◆「ななふく浪曲旅日記」は毎月第三土曜に配信します。