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継承するということ

2月28日。私は千葉県香取郡東庄町におりました。私はこの町の観光大使を務めております。町に来るのはもう何度目でしょうか。お付き合いは足掛け23年になります。

なにゆえ観光大使を務めているのか。この町が舞台となっている「天保水滸伝」という物語を浪曲で演じているからです。

私は「玉川」という亭号を名乗っておりますが、「天保水滸伝」は二代目勝太郎以来、玉川の演者が受け継いできた物語。江戸時代の後期、下総(いまの千葉県)に実在した2人の博打打ちの親分、飯岡助五郎と笹川繁蔵の抗争の物語です。

 

 この日演じたのは「天保水滸伝」ではなく、

鎌倉時代にこの地を治めた「東氏」の物語でした。

 

飯岡はいまの旭市飯岡。当時は下総一の漁場でした。イワシ漁が盛んで殷賑(いんしん)を極めていました。一方、笹川は銚子から少し利根川をさかのぼったところで、いまの香取郡東庄町。醸造業があり、かつ物流の要衝でもありました。人とモノの集まるところには遊び場が、博打場ができる。その賭場争いで両一家に抗争が起きました。

果てに笹川繁蔵が飯岡方によって殺され、追い詰められた子分の勢力富五郎が自分の喉を鉄砲で打って自決した逸話が風に乗って広まり、講釈師の宝井琴凌が現地を取材し講談にしたのが「天保水滸伝」の起こりです。

以来、講談で語り伝えられ、浪曲でも初代玉川勝太郎が演じたのですが、作家の正岡容(まさおかいるる、桂米朝師匠や小沢昭一さんのお師匠さん)が昭和になってから二代目玉川勝太郎のために脚色し、演じられたものが大ヒット。三代目勝太郎、私の師匠である福太郎と受け継がれてきました。

長い物語。何席もある続き物のうち、師匠福太郎から許しをもらって私が最初に覚えたのは剣豪平手造酒(ひらてみき)が主役の「鹿島の棒祭り」です。

平手造酒は三波春夫先生の「大利根無情」や田端義夫さんの「大利根月夜」でも歌われた「天保水滸伝」の人気キャラクター。千葉周作をしのぐ腕を持っていたけれど、酒乱で人生を誤った人です。

「鹿島の棒祭り」のあと、飯岡と笹川両一家の決闘を描いた「平手の駆けつけ」を覚えました。当時覚えたのはその二席だけ。「天保水滸伝」の白眉とされる「笹川の花会」など他の作品は、先達の先生から「女がやるもんじゃない」と言われたり、私自身が博打打ちの大親分の腹芸を演じる自信がなかったりして、弟弟子の太福さんが継承すればいいと手を付けずにおりました。

 

笹川繁蔵の碑と奈々福

 

物語の舞台東庄町へは、東京駅八重洲口発の高速バスで2時間ちょっと。バスは平手造酒が斬られて死んだとされる諏訪大神の境内の脇に止まります。諏訪様の境内には、笹川繁蔵が建てた相撲の神様「野見宿祢(のみのすくね)の碑」があり、「天保水滸伝遺品館」も。境内を通り抜けると隣に延命寺があり、笹川繁蔵の碑、勢力富五郎の碑、平手造酒の墓がある。平手造酒というのは物語上の名で、史実としては「平田深喜」もしくは「平田三亀」と伝えられています。平手造酒の碑の裏側に平田氏の墓標も。もう散りかけの梅の残り香漂うなか、しばし笹川一家の面々に思いを馳せます。

「笹川の花会」には手を付けない、と思っていた。でも「天保水滸伝」への思いはあります。

新作の「天保水滸伝」をいくつかつくりました。

講談、浪曲で演じられてきた「天保水滸伝」の笹川繁蔵は若くていい男。正義の側です。対する飯岡助五郎は一方的に悪役に描かれています。そして最後は、正義の側の繁蔵が飯岡方に殺され、残党も自決や刑死で一家は滅んだ。滅んだ側に美を見出す、日本の物語のひとつのパターンです。

 

左が勢力富五郎の碑、真ん中が笹川繁蔵の碑、右が平手造酒の墓

 

この地域は郷土史研究が盛んです。多くの郷土史研究家や関係者の末裔の方々が、史実としての笹川繁蔵、飯岡助五郎を調べています。本も出されています。それをもとに多くの小説も書かれています。

「天保水滸伝」を演じるうえで、当然そういう資料も読むことになります。

と、飯岡助五郎は相州三浦から出て来たたたき上げの人で、一時は江戸の相撲を志したけれど、諦めて飯岡に流れ着き、漁師になった人。よそ者だったが人望を得て網元になり、博打打ちの親分にもなり、地域の公共事業に尽力したと知りました。

飯岡は古来、海難事故が多かった土地。多くの漁師を失ってイワシ漁が危機に瀕したとき、生まれ故郷から人手を集めて町を救ったそうです。すごく面白い話。

抗争が起きるには起きるわけがある。一方的に片方を「悪」として描くのではなく、それぞれに理由があるはず。それに人は多面的です。良い悪い、だけではなく、物語の登場人物たちの、人間としての姿を描きたい。

作家の伊藤桂一先生にお許しをいただき、先生の小説「燃える大利根」を原作としてつくったのが「飯岡助五郎の義侠」です。同じく伊藤先生の「亡霊剣法」をもとに、笹川繁蔵と平手造酒の出会いから別れまでを描いた浪曲版「亡霊剣法」も制作しました。

古典に新たに作品を加えていく。「天保水滸伝」の世界がより豊かになる。これも先達の宝を継承していく作業のひとつだと私は思います。そして今、宿敵を殺したあとの飯岡一家の姿を描くべく、「三浦屋孫次郎」という新作に取り組んでいます。明確な原作はありません。いくつもの講談本、郷土史関連の書籍、小説などを読むなかで、助五郎の幼馴染でのちに子分となり、繁蔵を殺した男でもある三浦屋孫次郎を描きたいのです。

私の自主企画「徹底天保水滸伝」で披露する予定です。

久しぶりに笹川繁蔵が殺されたビャク橋も訪ねました。「笹川繁蔵最後之跡」という碑が立てられている。土地の人が土地の物語を大事にしてくれている。それをその土地で語ることができる。そんな機会を与えてもらえている幸せを感じます。

 

笹川繁蔵最後之跡

 

玉川の流れにいる者でありながら、「天保水滸伝」に真正面から取り組んでこなかった。でも今回、その物語をきちんと通そう、と思い立ちました。古典も新作も含めて、わたしなりの「天保水滸伝」を、通しで語ってみよう。

 

「飯岡助五郎の義侠」(伊藤桂一原作、奈々福作)

「鹿島の棒祭り」 (古典)

「ボロ忠売り出し」 (講談の神田愛山先生から頂いて浪曲化)

「笹川の花会」(古典→脚色を加えました)

「蛇園村斬り込み」(古典→脚色を加えました)

「平手の駆けつけ」(古典)

「亡霊剣法」(伊藤桂一原作、奈々福作)

「三浦屋孫次郎」(新作)

 

8席のうち4席が新作。古典も一部は脚色を加えました。

「玉川奈々福の徹底天保水滸伝」、1公演で2席ずつ語って全4回。

企画への思いのことは自分のブログ(https://7729.jp/7729_blog/20260126.html)に書きました。

1月から毎月開催。すでに2回を終えて残すところ2公演。まだ「三浦屋孫次郎」は書き上げていません。それに、欲が出てもう一作書きたくなっている……。

続けていただいたこの連載、今回が最終回です。

「浪曲」というジャンルがあること。多くの先達の努力と切磋琢磨の中で継承されてきたこと。その中で玉川という流派があり、師匠福太郎の弟子となり、その流れの中にいさせてもらえていること。それらに感謝し、自分には何ができるのか、と考えるなかで、私の思う継承ということを書いてみました。

読んでいただき、ありがとうございました。

 

たまがわ・ななふく 横浜市出身。筑摩書房の編集者だった1995年、曲師(三味線弾き)として二代目玉川福太郎に入門。師の勧めで浪曲も始め、2001年に浪曲師として初舞台。古典から自作の新作まで幅広く公演するほか、さまざまな浪曲イベントをプロデュースし、他ジャンルの芸能・音楽との交流も積極的に取り組む。2018年度文化庁文化交流使としてイタリアやオーストリア、ポーランド、キルギスなど7カ国を巡ったほか、中国、韓国、アメリカでも浪曲を披露している。第11回伊丹十三賞を受賞。

「徹底天保水滸伝 第三回」は3月27日(金)午後7時から東京・浅草の木馬亭で。予約3千円、当日3500円。全席自由席。予約フォーム(https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfr3589CyR23s-8DdQbdABMTGNzHYZlJtK11EKR7T68ChoDdw/viewform/)。

◆「ななふく浪曲旅日記」は今回で終わります。