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頼りになります 遠出のお供に「生せんべい」

徳川家康が若い頃、大層気に入った味という「生せんべい」=総本家田中屋提供

「生〇〇」がもうずいぶん長い間、人気だ。

 

古くは生チョコレートに生キャラメル、近年であれば生ドーナツに生食パン。生ロールケーキや生カヌレといった商品もスーパーやコンビニでしばしば見かける。

 

ドーナツにしても食パンにしても、本当に「生」、つまり焼いていないわけではない。食感がしっとりとやわらかく、とろけるようであることを、生と称しているわけだ。

 

わたしが暮らす京都には、生八つ橋が代表的銘菓として存在する。こちらがあまりにメジャーなため忘れ去られがちだが、江戸時代から売られているという本来の八つ橋は、米粉に砂糖・ニッキを混ぜて焼いた堅い菓子。昭和半ばにこの生地を焼かないバージョンが生八つ橋として登場し、今日に至っている。

 

それでは八つ橋と同じ焼き菓子である煎餅に、焼かないバージョン、つまり「生煎餅」が存在することはご存じだろうか。煎餅の「煎」は本来、「火にかける」の意味。となると生煎餅という言葉はそれ自体が矛盾をはらんでいるわけだが、実はこれは愛知県知多半島エリアのご当地菓子。徳川家康が若い頃、知多半島に暮らす母親を頼って移動中、農家の庭先に干してあった煎餅を生のまま食べたところ大層気に入ったという、地域に根差した伝承を持つスイーツなのだ。

 

主たる材料は米粉と砂糖、蜂蜜。プレーン味に相当する白、黒糖を使った黒、抹茶を混ぜた緑、それに比較的近年誕生した柚子の四種類が存在し、重ねた薄い板状のものが切り分けられている。知多半島にほど近い名古屋の銘菓であるういろうに近い菓子と付け加えれば、おおよその雰囲気はご理解いただけるのではないか。

 

知多半島はわたしにとっては、母の実家のある町。ただ、母が十一人きょうだいの末っ子で、親類縁者があまりに多いこともあり、かえって子どもの頃は訪れる機会が稀だった。自分一人で遊びに行きやすい年齢になってから、仲のいい伯母の家に折ごとに泊めてもらうようになり、そこで出会ったのが上記の生せんべいだった。生まれも育ちも知多の伯母は、この菓子が全国的な品だと思っていたようで、わたしが生せんべいを気に入るや、「これがそんなに珍しいかね」と驚いていた。

 

和菓子の最低限の要素で構成されているだけに、生せんべいの味は比較的シンプルだ。だがこれがなぜか癖になる。もちもちとした食感は、板を重ね合わせた構造によって更に引き立ち、ついついもう少し、と手が伸びる。またぺったりとした板状の包装がかさばらず、カバンの隙間にすっと差し込んで持ち運ぶことが出来る点も大変気に入っている。知多から関西に帰り、「そうそう、これお土産」とリュックの隙間などから取り出した際、

「どこに入れているの!」

と友人たちに幾度驚かれただろう。

 

実のところ移動が多いわたしはこれまでに、大雨で新幹線に閉じ込められたり、車両トラブルによって大掛かりな迂回を強いられるといった騒動に幾度も巻き込まれている。また地震が多いというお国柄も影響して、遠出をするときのカバンには水・モバイルバッテリー・エマージェンシーシート・非常食を必ず入れており、そこに手土産類が加わる時はいつも、「何かあったら、これも食べさせてもらおう」と考えている。

 

そんなわたしにとって、カバンのどんな隙間にも入り、腹持ちがよく、しかも水なしでも食べられる生せんべいは、わが田舎の菓子ということもあり、カバンに入っていると不思議な安心感を与えてくれる食べ物だ。

 

仲良しだった伯母はもうおらず、その家は間もなく取り壊しになる。ただそれでも、「瞳子さんは生せんべいが好きだからねえ」と自転車で店まで買いに行ってくれた伯母の思い出はまだまだ鮮やかで、それもまた生せんべいへの信頼を厚くする理由となっている。

 

田 瞳子

さわだ・とうこ 1977年生まれ。同志社大文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士前期課程修了。2016年『若冲』で親鸞賞、21年『星落ちて、なお』で直木賞受賞。『火定』『春かずら』など著書多数。

澤田 瞳子さん

Ⓒ富本真之