小さな無人駅の跨線橋(こせんきょう)に上ると、穏やかな瀬戸内の海がすぐそばにあった。
わが故に 妹(いも)嘆くらし 風早の 浦の沖辺(おきへ)に 霧たなびけり
駅前の海は古来「風早の浦」と呼ばれ大陸へ向かう船が風待ちで停泊した。この歌は奈良時代に1人の遣新羅使が詠んだ万葉集中の1首。風早の浦の沖に霧がたなびいている。私を思って妻が嘆いているようだ――。命がけの旅の途上にある夫の、残した妻への思いがにじむ。
地域の消防団員だった土居則行さん(64)が万葉集にちなんだ町おこしを仲間と始めたのは1988年のこと。そこから、駅裏の保野山(ほのやま)に「万」の字を焚(た)く「万葉火」が誕生した。
京都の五山送り火で研修を受け、標高296メートルの山頂に73個の火床(ひどこ)を設置。「若くてバイタリティーのある人が集まっていたからできた」と土居さんは振り返る。今では毎年秋、小学生から大人まで約350人が薪運びや点火に加わる。
船会社で長年航海中心の生活を送った奥田雅生さん(70)は、定年を迎えた10年前から参加するようになった。「風早の海は本当に静か。山の上から見た時はああ、きれいだなあと思ったね」
ふだんは入れない火床のある山頂へ、土居さんが案内してくれた。大小の島々の間に、カキを養殖する細長いいかだがいくつも浮かんでいる。その姿が、1300年近く前、ここに停泊していた万葉人の船に重なった。
文 伊東絵美/撮影 上田頴人
JR呉線は三原駅(広島県三原市)と海田市(かいたいち)駅(海田町)を結ぶ87キロ。海岸線に沿って走り、風光明媚(めいび)な瀬戸内海の景色を間近に楽しむことができる。 呉駅から徒歩5分の大和ミュージアム(TEL0823・25・3017)では、軍港から工業都市へと発展した呉の歴史を紹介。戦艦大和の10分の1模型も。500円。 竹原市の町並み保存地区は竹原駅から徒歩15分。石畳の通りに江戸~昭和期の建物が並ぶ。「ウサギ島」こと大久野島は忠海(ただのうみ)駅を降りて徒歩5分の港からフェリーで15分。
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風早駅から徒歩20分の祝詞山(のりとやま)八幡神社には、万葉歌碑の隣に地元の陶芸家、財満進さんの陶壁画が立つ=写真。高さ3.6×幅5.4メートルの画面に新羅へ旅立つ夫と見送る妻の姿が描かれる。東広島市安芸津町風早354。 |