足湯につかった女性が、カメラを手に津軽海峡を見つめる。水平線に浮かぶのは北海道の恵山(えさん)岬。かたわらには「しもふろ」の駅名標。だが、この「駅」に列車が到着することはない、昔も今も。
下北半島を北上するJR大湊線の下北駅から、最北端の大間崎方面へ延びる路線として戦前に計画。1937(昭和12)年に着工されたが、戦況悪化で43年に頓挫した。「幻の大間鉄道」と呼ばれる。
風間浦(かざまうら)村には13連の立派なアーチ橋が残された。2005年、橋に遊歩道「メモリアルロード」が整備され、待合室風の東屋(あずまや)や足湯、線路のオブジェが設けられた。橋のたもとに造られる計画だった下風呂駅が60年余の空白を経て橋上に出現し、「鉄道ファンが訪れるようになりました」と村役場の本間浩さん(48)。
バケツやほうきを手に長靴ばきで足湯に集まったのは、下風呂温泉旅館組合おかみの会のメンバーだ。足湯が開く4月末から10月中旬まで週に2回、旅館の仕事の合間をぬって清掃を続けている。「気持ちよく利用していただきたいですから」と会長の長谷雅恵さん(56)。遊歩道の整備にあたって足湯の設置を提案したのは女将(おかみ)たちだったという。
雅恵さんの母親で先代女将の津恵子さん(81)は「建設が中止された後も長いこと、駅前通りと呼ばれていた道があったんですよ」と、大きかった地元の期待を振り返る。戦時下の鉄道建設で過酷な労働を強いられた人たちを思い出すこともあるそうだ。
しかし地元でも歴史を知る人は少なくなった。雅恵さんは「子どもの頃の遊び場としか思ってなかったけど、メモリアルロードが歴史を意識するきっかけになりました」。未完成のレールが世代をつないでいく。
文 中村さやか/撮影 上田頴人
大間線は、完成を前に計画中止となった未成線。海産物の輸送や本州と北海道を結ぶ最短ルートとして期待されていた。しかし戦争の色が濃くなるにつれ、大間にあった要塞(ようさい)への軍事物資輸送が大きな目的となる。大間線から青函トンネルにつなげる構想もあったというが、戦後、地質調査の結果、津軽半島のルートが選択され、再び幻の鉄道となった。 第1期工事区間の下北―大畑間は、1939年に大畑線として開通(2001年廃線)。旧大畑駅は現在バスの待合所となり、有志団体がディーゼルカーを動態保存して定期的に体験乗車を行っている。
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下風呂地区はイカ漁が盛ん。アーチ橋すぐの活イカ備蓄センター(TEL0175・36・2112)では、全長20メートルの水槽でイカを泳がせる元祖烏賊様(いかさま)レースを開催((金)(土)、今年は10月31日まで)。イカのオーナー(600円)になると、出走後に刺し身にして食べられる。 |