下り1番ホームのわきに、その詩碑はあった。
――桑名の夜は暗かつた/蛙(かえる)がコロコロ鳴いてゐた/夜更の驛(えき)には驛長が/綺麗(きれい)な砂利を敷き詰めた/プラツトホームに只獨(ただひと)り/ランプを持つて立つてゐた
詩人・中原中也の「桑名の驛」。1935(昭和10)年8月、故郷の山口県から帰京の途中、東海道線が水害で不通となり、関西線回りで桑名駅に長時間停車した体験を描いたとされる。
赤御影石の詩碑は94年7月、駅の開業百周年を記念して立てられた。曲線は車輪を、直線はレールを表現するという。地元の郷土史家、西羽(にしは)晃さん(78)らが建設費270万円を市民から募った。
――燒蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは/此處(ここ)のことかと思つたから/驛長さんに訊(たず)ねたら/さうだと云つて笑つてた
「その手は桑名(食わない)の焼き蛤で知られる桑名が、田んぼばかりだったことに驚き、詩情をかきたてられたのでは」と西羽さん。中也は妻と生後10カ月の長男と3等寝台車に乗っていた。「虚無や悲しみに満ちた作品と異なり、珍しく軽やか。足止めの状況さえ楽しんでいるかのようです」と、山口市にある中原中也記念館の中原豊館長(56)は言う。
駅に寄った翌年、長男が死んだ。心をむしばまれた中也は、それから1年も経たない37年10月22日、30歳で夭逝(ようせい)する。短かった幸せの記憶を刻んで、詩碑はひっそりと立っていた。
文 曽根牧子/撮影 浅川周三
JR関西線は名古屋駅と難波駅(大阪市)を結ぶ174.9キロ。 桑名駅から徒歩15分、江戸時代に東海道の熱田と桑名を船で結んだ七里の渡し跡がある。「伊勢国一の鳥居」が立ち、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられる。 武者姿の若者が馬で坂を駆け上がる「上げ馬神事」で有名な多度大社は、桑名駅と揖斐駅(岐阜県揖斐川町)を結ぶ養老鉄道の多度駅から徒歩25分。 四日市コンビナートの工場夜景は夜景クルーズ((金)(土)、60分3600円~、要予約)で。JR四日市駅から無料送迎バス。問い合わせは第一観光(059・347・7177)。
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駅から徒歩15分の桑名市博物館では11月15日から「桑名、文學ト云フ事。芭蕉・鏡花・中也」を開催。泉鏡花「歌行燈(あんどん)」をはじめ桑名にちなむ作品を直筆原稿などで紹介する。中也愛用のコート=写真=も展示。高校生以上500円。12月14日まで。 |