ビルが並ぶ青山通り沿い。傘を広げたような屋根、ガラス張りの建物の中はどんな空間?
室町時代後期創業の和菓子店がここに9階建てビルを建てたのは、前回東京五輪の1964年。約半世紀後の建て替えにあたり当初は10階建てを検討していたが、方向転換した。黒川光博社長(77)=現会長=らは、「これからの時代、大きな建物じゃないのでは」と考えたのだ。
設計した内藤廣(ひろし)さん(71)は、「一等地の容積をあえていっぱいに使わず、自分たちの姿勢を表現する姿に共感した」と話す。黒川さんとは15年ほどの付き合いがあった。「お人柄に接して、簡素にして高雅、という建築コンセプトが自然と浮かんだ」
プランを練っていたある日、初夏に3日間だけ販売される和菓子「更衣(こうい)」が事務所に届いた。飾り気のない、直径5×高さ2センチほどの円筒形の生菓子。その味と食感に「陰影のある奥行き」を感じ、「何割かでも建築に写し込めたら」と思った。
思いの表れの一つが、本物の素材へのこだわりだ。内装には吉野のヒノキをふんだんに使用。外観が印象的な屋根の内側にあたる勾配天井は、1メートルおきに渡した鉄骨に交差するように、ヒノキの小幅板が張り巡らされていて目を引く。
2階売り場の黒しっくいの磨き壁は「左官のカリスマ」久住(くすみ)章さん(73)に依頼した。経験のない大きさのためコテを特注し、職人は20人がかり。塗った厚さが少しでも違うと均質に仕上がらず、久住さんが納得いくまで5回はやり直した。
店内の手すりが何かに似ていると気づく人もいるかもしれない。角を丸めた曲線(アール)は、代表的なようかん「夜の梅」の四隅と同じ。内藤さんはこれを「ようかんアール」と命名、地下ギャラリーの壁など建物の随所で使われている。
建て替え前のビルは付近のランドマークだっただけに惜しむ声も多かった。「時々振り返るのも必要だが、今と未来が大事。『不易流行』の姿を勉強させてもらった気がします」
(斉藤由夏)
DATA 設計:内藤廣建築設計事務所 《最寄り駅》 赤坂見附 |
青山通りをはさんで徒歩2分、豊川稲荷東京別院(問い合わせは03・3408・3414)は「豊川閣妙嚴寺」が正式名の曹洞宗の寺院。商売繁盛、家内安全、福徳開運を願う参拝客の姿が絶えない。境内には七福神がまつられており「七福神めぐり」もできる。電話受け付けは午前8時半~午後4時。