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旧志免鉱業所竪坑櫓 (福岡県志免町)

地下430メートル 炭鉱のエレベーター

ボタ山を背景にそびえる竪坑櫓。柵内は立ち入り禁止で、年1回11月の特別公開の時だけ1階部分を見学できる(要予約・定員制)
ボタ山を背景にそびえる竪坑櫓。柵内は立ち入り禁止で、年1回11月の特別公開の時だけ1階部分を見学できる(要予約・定員制)
ボタ山を背景にそびえる竪坑櫓。柵内は立ち入り禁止で、年1回11月の特別公開の時だけ1階部分を見学できる(要予約・定員制) 保存修理工事を行う前の8階吹き抜け部分=2018年、志免町提供 周辺には坑口の跡が残っている 1階開口部につり下げるように取り付けられたひさし。「柱が邪魔にならないよう工夫したのではないか」と徳永さん 炭鉱内の空気を循環させていた換気用プロペラ。現在はやぐら近くの倉庫に保管されている。見学希望は要相談 石炭輸送に活躍した鉄路が残る志免鉄道記念公園 竪坑櫓がデザインされたマンホールのふた

福岡空港から車で約10分。高台のグラウンドにそびえ立つ頭でっかちの建物は何?

 福岡市のベッドタウン、福岡県志免町はかつて、福岡市の東に広がっていた糟屋炭田のほぼ中央に位置する。1906年、旧海軍直営の採炭所が開坑。艦船で使う良質の無煙炭などを産出した。

 高さ47・6メートル、鉄筋コンクリート製の竪坑櫓は太平洋戦争中の1943年完成。地下のより深い層の石炭を採取するため、立て坑を通じて作業員や石炭を昇降させる「エレベーター」として造られた。5階までは柱とはりだけ、最上階の8階に設置された巻き上げ機が、地下430メートルからエレベーターの「かご」を巻き上げた。

 戦後は旧国鉄志免鉱業所として操業を続けたが1964年に閉山。九つの坑口は閉じられ、やぐらも放置された。廃虚のままいずれ取り壊されると思われたが2000年、近くで炭鉱関連の遺構が発掘され、調査が始まった。

 調査に関わった町社会教育課の徳永博文さん(56)は、産業考古学の研究者から「このやぐらは重要」と聞いたが、「なぜ重要なのかわからなかった」。その理由を探るため、自費で北海道から沖縄まで国内の石炭産業関連遺構を訪ね歩いた。

 国内には類例がないやぐらだが、中国とベルギーの炭鉱に同型のものが現存することもわかった。中国東北部の撫順を実際に訪れ、れんが壁のやぐらで、戦前日本が運営した南満州鉄道製であることを確認した。

 約10年かけて調査報告書をまとめた徳永さんは「これは残さなければいけない」と確信したという。炭鉱事故や労働争議の記憶などから保存に消極的な声もあったが、近代化遺産ブームもあって2006年に町が譲渡を受け、2009年には国の重要文化財に指定された。

 建物上部が大きく突き出した「ハンマーコプフ(金づち)」型は、周囲に関連施設が立ち並ぶ中で、スペースを効率良く使うため建設したと思われる。「よくバランスを保っていて、建築技術の高さを感じます」と徳永さん。「(鉱業所の中で)これだけでも残ってよかった」

(田中沙織、写真も)

 DATA

  設計:猪俣昇
  階数:地上8階、地下1階
  用途:石炭採掘施設
  完成:1943年

 《最寄り》:博多駅からバス


建モノがたり

 徒歩9分の志免鉄道記念公園は1985年に廃線となった旧国鉄勝田線・志免駅の跡地。1919年に民営で開業した同線は、沿線の炭田から福岡市へ最盛期には1日約750トンの石炭を輸送したという。ホームや線路の一部が残され、旧志免鉱業所が稼働していた1955年ごろの町の様子を写した写真が展示されている。志免町社会教育課(電話092・935・7100)。

旧志免鉱業所竪坑櫓 公式ホームページ

https://shime-tatekouyagura.jp/

(2024年2月6日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)