熊本地震を耐え抜いた築135年のれんが建築。復旧工事で次々と明らかになった、建物の価値とは?
熊本大学キャンパスの並木道を抜けると、赤れんがに瓦屋根をのせた西洋風建築が現れる。
熊本大の前身、旧制第五高等学校の校舎「五高記念館」は、夏目漱石やラフカディオ・ハーンが教壇に立った。1889(明治22)年に建てられ、当時の面影を残す建築として1969年に国の重要文化財に指定された。
2016年の熊本地震が、この建築の命運を揺さぶる。煙突が折れて屋根を突き破り、廊下のアーチ部分はれんがが落下。あちこちで館内の漆喰(しっくい)がはがれ落ち、内壁に亀裂が生じた。
「文化財を復元することに加え、つぎに地震が来ても二度と壊れないようにしたいと思った」
この年から23年まで館長を務めた熊本大名誉教授の伊東龍一さん(66)は復旧工事に向き合った。損傷状況を調べるなかで思わぬ発見が相次いだ。
昔の教室を再現した「復原教室」の黒板をはがすと、その奥に別の黒板が埋もれていた。チョークで書かれた文字も残っていた。「生徒の落書きだろう」。漱石の字ではないようだ。
教室の出入り口の上部の漆喰をはがすと、れんがをアーチ状に積んだ壁が姿をみせた。戸袋は木で作られていた。内壁に塗られた漆喰の跡から、かつて床が階段状であった様子がうかがえ、古い計画図に記されていた階段教室が実際に着工されていたことも確認できたという。
設計したのは文部省の山口半六(1858~1900)と久留正道(1855~1914)。山口はフランスで建築技術を学び、久留は日本でれんが建築への耐震補強を提案したジョサイア・コンドル(1852~1920)に師事した。
「建物本来の価値が明らかになった」。後世に引き継ごうと、耐震補強ではれんが壁の上部から穴を開けてステンレス棒を挿入し、充塡(じゅうてん)材を流し込んで固める工法を採用。復原教室は、建物の構造がわかるように一部の漆喰をはがして展示している。
いまも五高記念館の資料調査は続いている。藤本秀子研究員(68)は「同窓生の資料館としてだけでなく、近代日本における高等教育制度の歴史を感じてほしい」。
(田中沙織、写真も)
DATA 設計:山口半六、久留正道 《最寄り》:熊本駅からバス |
1階展示室では、第五高等学校時代に英語教師を務めたジェームズ・マーター(1883~没年不明)が愛用したピアノを展示。来館者は自由に演奏できる。寮生活でピアノを持てない熊本大学生が練習しに来ることもある。館内の見学は午前10時~午後4時(入館は30分前まで)。原則(火)、年末年始休み。臨時休館あり。
熊本大学五高記念館 公式サイト