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旧渋沢邸(東京都江東区)

表座敷2階客間の天井は、畳の割り付けに合わせた特徴的なデザイン 表座敷2階の長押(なげし)は10メートル以上継ぎ目のないスギ材 洋風の意匠も取り込まれた階段。手すりの親柱に彫刻を取りつけるはずだったが、渋沢栄一が「分不相応」と断ったと伝わる 1930年に増築された洋館は、銀行建築を多く手がけた西村好時の設計

 新1万円札の顔、渋沢栄一の旧邸が昨年、青森から東京に移築された。明治初期に建てられ、移築は3度目。いったいなぜ?

 

 延べ床面積約1200平方メートル、堂々たる姿の旧渋沢邸。150年近い身の上話に耳を傾けると――。

       ◇

 ほぼ30年ぶりに青森県六戸町から東京に戻ってきたよ。あちこちガタが来てね、あっちに骨を埋めるつもりだったんだが……。

 生まれは東京の深川福住町(現江東区永代)、この近くさ。あるじは渋沢栄一。設計施工は2代清水喜助って清水建設の2代目店主。腕のいい棟梁で、西洋建築も勉強したお方だ。

 30年後に三田綱町(現港区三田)に移ってね、昭和の初めにはモダンな洋館が増築されたよ。第2次大戦後は財産税として国に物納され、蔵相公邸や省庁の会議所として使われたんだ。

 そんなアタシにラブコールを送ってくれたのが、栄一の書生となり、執事として渋沢家に仕えた杉本行雄さん(故人)。「処分するなら払い下げを」と陳情を続けて、自分が開発した青森の古牧温泉に移築してくれたんだ。たいそうなお金がかかったらしいが、「渋沢家への恩返し」だといって。

 それからざっと30年。改修が必要になって、見に来てくれたのが、清水建設の金高正典・上席エンジニア。清水喜助の貴重な建築を残さなきゃと、アタシの写真集を作って社内の根回しをしたってんだから、ありがたいね。会社としても、新しく東京に造る拠点の中心に位置づけてくれたのさ。

 解体した大小2万の部材は、ものによっては美術品並みの扱いで運ばれたよ。7割以上の木材を再利用しながら、耐震補強もしてもらったんだ。

 自分でいうのも何だが、吟味した部材を使った「表座敷」は、見えない部分の技術も含めてなかなかのもんだよ。華美じゃないが、ちょっぴり洋風の階段や、畳と対称となった天井なんかシャレてないかい?

 金高さんは「渋沢栄一の魂が人を結びつけて、奇跡的に残った建築」といっているんだ。アタシもそう思うね。

(大庭牧子、写真も)

 DATA

  設計:2代清水喜助ら
  階数:2階
  用途:住宅
  完成:1878年(表座敷)

 《最寄り駅》:潮見


建モノがたり

 徒歩3分の「潮見スキッパーズ」(☎03・6659・7062)は、運河を眺めながら本格的なハンバーガーが味わえるレストラン。豪州産牛肉のパティは味と食感を引き出す2層仕立て、北海道産小麦を使ったバンズも自家製だ。「スキッパーズエッグチーズ」(1860円)など。午前11時~午後2時半、6時~9時。

 

2024年10月1日、朝日新聞夕刊から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください