新1万円札の顔、渋沢栄一の旧邸が昨年、青森から東京に移築された。明治初期に建てられ、移築は3度目。いったいなぜ?
延べ床面積約1200平方メートル、堂々たる姿の旧渋沢邸。150年近い身の上話に耳を傾けると――。
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ほぼ30年ぶりに青森県六戸町から東京に戻ってきたよ。あちこちガタが来てね、あっちに骨を埋めるつもりだったんだが……。
生まれは東京の深川福住町(現江東区永代)、この近くさ。あるじは渋沢栄一。設計施工は2代清水喜助って清水建設の2代目店主。腕のいい棟梁で、西洋建築も勉強したお方だ。
30年後に三田綱町(現港区三田)に移ってね、昭和の初めにはモダンな洋館が増築されたよ。第2次大戦後は財産税として国に物納され、蔵相公邸や省庁の会議所として使われたんだ。
そんなアタシにラブコールを送ってくれたのが、栄一の書生となり、執事として渋沢家に仕えた杉本行雄さん(故人)。「処分するなら払い下げを」と陳情を続けて、自分が開発した青森の古牧温泉に移築してくれたんだ。たいそうなお金がかかったらしいが、「渋沢家への恩返し」だといって。
それからざっと30年。改修が必要になって、見に来てくれたのが、清水建設の金高正典・上席エンジニア。清水喜助の貴重な建築を残さなきゃと、アタシの写真集を作って社内の根回しをしたってんだから、ありがたいね。会社としても、新しく東京に造る拠点の中心に位置づけてくれたのさ。
解体した大小2万の部材は、ものによっては美術品並みの扱いで運ばれたよ。7割以上の木材を再利用しながら、耐震補強もしてもらったんだ。
自分でいうのも何だが、吟味した部材を使った「表座敷」は、見えない部分の技術も含めてなかなかのもんだよ。華美じゃないが、ちょっぴり洋風の階段や、畳と対称となった天井なんかシャレてないかい?
金高さんは「渋沢栄一の魂が人を結びつけて、奇跡的に残った建築」といっているんだ。アタシもそう思うね。
(大庭牧子、写真も)
DATA 設計:2代清水喜助ら 《最寄り駅》:潮見 |
徒歩3分の「潮見スキッパーズ」(☎03・6659・7062)は、運河を眺めながら本格的なハンバーガーが味わえるレストラン。豪州産牛肉のパティは味と食感を引き出す2層仕立て、北海道産小麦を使ったバンズも自家製だ。「スキッパーズエッグチーズ」(1860円)など。午前11時~午後2時半、6時~9時。