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緑地帯に溶け込む建築 

建築家・河野泰治さん、東大名誉教授・稲山正弘さんインタビュー

 

 

 東大農学部の一角にたたずむ、三角屋根の建物。東大弥生講堂アネックスの設計を担当した河野泰治さんと、構造設計を担当した稲山正弘さんにお話をうかがいました。(聞き手・高田倫子)

 

河野泰治さん

 

――河野さんが設計を担当されることになった経緯をお聞かせください。

 2002年から東大農学部非常勤講師として「建築設計製図」などの講義を担当しています。私がかつて勤めていた事務所で師事したのが、同大弥生講堂・一条ホールを設計された香山壽夫先生でした。私も香山先生とともに建設に関わり、その時にご一緒した故・安藤直人先生からお声がかかり、2004年から弥生講堂アネックスの設計者として呼ばれました。

 ちなみに建物名の「アネックス(Annex)」は、英語で「付加する、添付する」という意味があり、もともとあった弥生講堂・一条ホールの「別館」という意味でつけられました。「別館」だと「旅館のようだ」という意見があり(笑)、弥生講堂に付加したものという意味で、アネックスとなりました。

 

――河野さんが目指された「開きつつ閉じる空間」について、詳しくお聞かせください。

 谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」にもあるように、日本の古い木造建築の大きな屋根の下には必ず「闇」となる部分がありました。軒は深く、障子や格子などから入り込む光が壁や床に反射するよう設計されています。たとえば奈良時代の「新薬師寺本堂」や平安時代前期の「室生寺金堂」は、外部から必要な明るさが取り込まれることで、人々にとって心地よい空間が演出されています。このような日本古来の木造建築で生じる「闇」ならよいのですが、「HPシェル」構造による現代建築で、大勢の人々が集まる場所に「闇」は必要ありません。。

 そこで、この建物では、外部の自然環境をいつも感じられるよう屋根に「閉じない」トップライトを設けることで、闇が生まれない緑と空が見える空間を目指しました。また、建築の内部に居ることで特定の目的のために集まった人々の気持ちを一つにまとめたい、と考えました。これが「開きつつ閉じる空間」です。

 

樹木が迫る東大弥生講堂アネックス

 

――外観だけでなく、内装にもこだわられたそうですね。

 サッシと1カ所だけ設置した雨どいは金工家・山本鍾互さんの作品です。建物が完成した2008年は、両生類保護を訴える「国際カエル年」だったため、雨どいの上に3匹のカエルを据えました。カエルは幸せのシンボルでもあり、山本さんの遊び心ですね。渋谷にあるライブハウス(旧映画館)「ライズ」のアルミ鋳物製のドレープも彼の製作です。

 

弥生講堂の雨どい

 

雨どいの上のカエル

 

 机や階段などは、厚さ約2~4㎜の板を何層も重ねた国産スギの赤身のLVLと呼ばれるブロック状の木材を採用しています。階段のすべり止めとして馬の蹄鉄に使う釘を打ち付けたのは、安価なことと、既製のノンスリップが意匠上なじまないため。吸音のためのジュート麻は、建材だと予算オーバーとなるため、手芸用を使用しています。私と現場の所長が直接、手芸店に足を運んで購入したんですよ。

 

LVLで造られた階段

 

 床はコンクリートの表面を磨き、シリカ系強化材により、鏡面化させて水拭き可能に。メンテナンスにコストがかからないよう工夫しました。当時、鏡面仕上げは日本で初導入だったのではないでしょうか。また、床と外の地面の位置を近づけることで、地続きに見えるようにしています。

 

――建物の今後について、どうお考えですか。

 老若男女、どなたでも使用してもらえるといいですね。ワークショップや音楽での利用など、研究や学会の発表に限らない利用もあるといいです。大学の講堂ではありますが、用途を限定したくない、というのが本音です。子どもたちが笑顔になるような空間をいつも考えているのですが、ぜひ年配の方にも利用していただきたい。大学の運営に制限がないとよいのですが…、これは別の機会に実現させたいと思っています。

 

 

稲山正弘さん

 

――なぜ今回の木造建築は、農学部の敷地内に建てられたのでしょうか。

 農学部では建材としての木材を研究しているため、大学側から木造建築であることが求められました。

 木造建築に使用される木材と、近代建築に使用される鉄骨・コンクリートとでは規格が異なります。木材は日本農林規格(JAS)、鉄やコンクリートは日本産業規格(JIS)です。木材は生き物なので、ひとつひとつ形が違いますが、鉄骨は画一化されています。それぞれについて主に学べる学部も異なり、前者は農学部、後者は工学部です。

 農学部で建築の構造まで学ぶことができるのは東大くらいです。私が赴任した2005年当時、木造建築の構造の研究を志望する学生はまだ少なかったのですが、私が退官した2024年には、人気の研究室になっていました。

 

弥生講堂アネックス

 

――木造建築が学べるのは、工学部ではなく農学部だけだった時期があると聞きました。

 今でこそ、SDGsの潮流にのって注目を浴びている木造建築ですが、1959年の伊勢湾台風襲来以降、「木造は風水害や火災・地震に弱い」とされ、同年の日本建築学会が欧米に並ぶ鉄骨鉄筋コンクリートで建物を造る「不燃都市」を目指すための「木造禁止」方針を全会一致で決定しました。それから90年代に至るまでの間、日本の工学部・建築学科で木造建築を学べる研究室はなくなり、我々は「暗黒の30年間」と呼んでいます。

 その時代、木造建築の構造を研究していたのは全国で唯一、東大農学部の木質材料学研究室でした。牽引していたのが、1973年から85年まで教授を務めた杉山英男先生(1925-2005)です。一方でそのころ、工学部の坂本功先生(1943-)の研究室で、少しずつ木造の実験などが行われるようになりました。日本の建築の近代化を進めたとも言われる内田祥哉先生(1925-2021)から「今、木造をやる人がほとんどいないから、やってみると面白いよ」と勧められたのがきっかけで、杉山先生に教わりながら工学部でも木造が研究対象になっていったのです。ちょうど私が坂本研究室で学んだのがその時代で、木造建築の構造について学位を取得したのが1992年でした。

 暗黒の時代にどうして、と思われるかも知れませんが、杉山先生と内田先生に先見の明があったのではないでしょうか。今では杉山先生の教え子の研究者や、坂本研究室で学んだ研究者が全国に広がり、東大の他に明治大、工学院大、東京都市大、日本工業大、九州大などの工学部で木造建築が学べるようになりました。木造建築の研究者が育つ土壌が広がっています。

 工学部出身の私が2005年、東大の准教授に着任したのは農学部の木質材料学研究室でした。木造建築研究の歴史を振り返ると、それも一つの縁だったのではないかと感じます。