明治後期、関西屈指のリゾート地として開けた大阪・浜寺公園。海水浴客らでにぎわった旧駅舎が今も残る。
大阪湾岸を車で走ると空が広くなった。海側に松林が緑の隊列をつくる。反対側を向くと、赤い屋根のレトロな建物が目を引いた。
南海本線の浜寺公園駅旧駅舎。1907年に完成した木造平屋建ての洋風建築。私鉄の木造駅舎で現存最古級といわれる。
左右対称の建物の正面に、装飾された優美な柱4本が見える。切り妻屋根の窓四つが配され、柱や梁(はり)、筋交いの模様は青灰色。柱の骨組みを壁に埋めず、装飾として生かすハーフティンバー様式を模している。
設計は東京駅なども手掛けた辰野金吾と後輩の片岡安。98年に国の登録有形文化財になった。
特等待合室はいま、ギャラリーとして活用され、駅務室は図書館付きのカフェに。浜寺で暮らした作家山崎豊子の小説も並ぶ。コンコースはイベント会場に変わった。
維持管理するのは、地元有志でつくるNPO法人「浜寺公園駅舎保存活用の会」。理事長の中野浩二さん(68)は「懐かしむ人、珍しがる若者たち。利用者はいろいろです」と話す。
付近は和歌にも詠まれた白砂青松の景勝地だった。日露戦争時、捕虜になったロシア兵の国内最大の収容所が近くに造られた。日本は条約にのっとり、運動や娯楽を認めるなど厚遇。思わぬ事情から、快適な風光明媚(めいび)の地として再発見された。「東洋一の海水浴場」の開場、大阪の富裕層らによる高級別荘地化へとつながっていく。
しかし、臨海工業地帯の造成で、1962年ごろに海水浴場は閉鎖。駅も駅前商店街も寂れていった。
2010年代に入り、浜寺公園駅の高架化工事が徐々に進んだ。12年に発足した「保存活用の会」は堺市や南海電鉄に旧駅舎の保存を要請。解体を免れた旧駅舎は17年、曳家(ひきや)工法で約30メートル移動した。
中野さんは言う。「旧駅舎は街のシンボル、憩いと交流の場、そして地元の心のよりどころです」
高架化工事は8年後に終わる予定だ。旧駅舎は新駅の正面玄関を飾るモニュメントに。保存を求める地元の「意志の結晶」として再スタートを切る。
(米原範彦、写真も)
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DATA 設計:辰野金吾、片岡安 《最寄り駅》:浜寺公園 |
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西約100メートルに浜寺公園(☎072・261・0936)が広がる。園内の「ばら庭園」(約3ヘクタール)では約500種6千株のバラが楽しめる。12月15日まで開園。午前10時~午後4時半、火(祝の場合は翌平日)休み。5月は無休。