古都にたたずむ異国情緒あふれる白亜の木造教会。戦禍(せんか)を乗り越えて120年余り。歴史的な建築遺産で祈りが捧げられている。
京都御苑のすぐ南側の町並みを歩くと、白亜の教会が現れる。屋根に玉ねぎ形の「クーポル」を載せ、八角形の鐘塔がそびえる。
京都ハリストス正教会の生神女福音(しょうしんじょふくいん)大聖堂。銅板葺(ぶ)きと下見張りの外観が素朴で温かみを感じさせる。
1903(明治36)年、能舞台跡地に完成した。帝政末期のロシアから運ばれた図面を基に、京都府庁旧本館などを手掛けた松室重光が設計。玄関から「啓蒙(けいもう)所」、礼拝などに使われる「聖所」、聖職者が立ち入る「至聖所」がまっすぐに並ぶビザンチン様式だ。この様式の大型の木造聖堂としては国内で最も古く、国の重要文化財になっている。
日露和親条約が結ばれた江戸末期、来日した修道司祭ニコライが函館で布教を始めた。明治時代に入り、東京、大阪などに拠点を設け、次いで京都へ。
ニコライの日記などから、京都が日本の古い宗教や思想の総本山であり、拠点教会が必要であると考えたことがうかがえる。
大聖堂に入ると、ステンドグラスから柔らかい光が注ぐ。大小30枚の聖像画(イコン)がはめ込まれた聖障(イコノスタス)が聖所と至聖所を仕切る。この聖障は当時のロシアからはるばる神戸を経て運ばれてきたものだ。
聖障の両端が少し折り曲がっている。寸法が合わずに折り曲げて設置したのだという。通信手段が乏しかった時代、職人たちの苦労がしのばれる。
大聖堂が完成した翌年に日露戦争が勃発。東福寺(京都市東山区)などに収容されていたロシア軍捕虜が、帰国時に感謝の気持ちから寄贈した「聖ニコライ」の聖像画2枚も飾られている。
聖障の下段の聖像画には傷がある。太平洋戦争中、避難させようと梱包(こんぽう)した際にできたもの。ほどなく終戦を迎え、避難はさせずにすんだという。
同教会の長司祭及川信(しん)さんは「旧ソ連時代の弾圧でロシアにも古い聖堂はほとんど残っていない。世界的に貴重な大聖堂であり、希少な聖障です」と話す。
いま、礼拝者の約半数は、東欧諸国やギリシャ、ロシア、アメリカ、インドなどの留学生や滞在者らだ。彼らは教会の当番も務めている。
シャンデリアや燭台(しょくだい)も大聖堂完成時のもの。国境を超えた絆と祈りが、遺産を未来へつないでいる。
(阿部 毅、写真も)
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DATA 実施設計:松室重光 《最寄り駅》:烏丸御池 |
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