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京都村上開新堂(京都市)

1935(昭和10)年に建てられた京都村上開新堂=京都市中京区

創業は明治。今の店舗は昭和初期に完成した。老舗が並ぶ京都・寺町通で、モダンな洋菓子店として異彩を放つ。今も昔も。

 「鬼平犯科帳」「剣客商売」といった時代小説で知られる作家池波正太郎は、この店の名物を愛した。大正時代に編み出された「好事福盧(こうずぶくろ)」である。季節限定の、紀州のみかんをふんだんに使ったゼリー。酒を飲んだ後、夜更けに食す冷たい味を「たとえようもなかった」と書いた。そして、こう続けている。

 「寺町通りの村上開新堂の店構えのよさは、『まったく、たまらない』と、いいたくなってしまう。これぞ、日本のよき時代の具現といってよい」(「むかしの味」新潮社)

 時間が凝縮された空間。

 京都の建築家、岡本成貴さん(57)は、京都村上開新堂をそう評する。

 外観の箱形のデザインが、すっきりした印象を放つ。板ガラスのドアを入ると、優美なカーブを描くガラスと無垢材でショーケースがかたどられている。大理石の柱が伸び、床にはモザイクのタイル。替えの利かないものばかりという。

 「どのような人々が、どのような技術や思考を重ねたのか知りたい」。岡本さんは仲間とともに、調査報告書をつくった。

 創業は1907(明治40)年。初代の村上清太郎は、おじの光保が東京・麴町で開いた洋菓子専門店「村上開新堂」で働いた。修業の末、村上家発祥の京都に帰り、同じ屋号で店を開いた。

 洋菓子専門店はたいそう珍しかった。時代とともに好事福盧など多彩な品が並び、現在は焼き菓子「ロシアケーキ」などが定番だ。クッキーは職人の手焼きによる素朴な味わいで、要予約となっている。

 ただ4代目店主となる村上彰一さん(46)には、店の様相が色あせて見えた。働き出した20年余り前は葛藤の連続だったと明かす。

 「若さゆえ、といえばそれまでですが、明治以来の歴史がある店なのだから、可能性を広げたい、付加価値をもっとつけたい、ともどかしく思っていました」

 店舗の奥にカフェスペースを開き、にぎわった。数人による商いを約60人が働く体制に広げた。隣では「メゾン ド ムラカミ」の名で、現代風なデザインの菓子を扱う店を展開しはじめている。自ら音頭を取った取り組みに手応えを感じつつ、こう思い至った。

 「店の一番の武器は、流行に左右されぬ伝統です」

 祖父母の頃から3代にわたり、求めてくる人々がいる。やはりこれだ、とほころぶ表情が、心の支えだ。

 彰一さんは夜明け前、午前4時に出社する。ひとり製造の支度を始める。

 日々まっさらな思いで臨まねば、変わらぬ味は作り続けられない。そんな心がけからである。

(木元健二、写真も)

 

 DATA

  階数:地上2階
  用途:店舗
  完成:1935年

 《最寄り駅》:京都市役所前


建モノがたり

 通りをはさんで向かいにある船はしや総本店(☎075・231・4127)は、豆菓子の老舗。煎って砂糖の衣掛けを重ね、淡い色彩を添えた五色豆で知られる。かりっとした歯ごたえに、やさしい甘みがひろがる。古都の歴史を映す味の一つだ。

2026年9月15日、朝日新聞夕刊記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください。